2014年3月20日木曜日

*奈良の旅人エッセイ*とは

このブログには、「小さなホテル奈良倶楽部」開業25周年記念イベントとして
「奈良を旅する楽しさ」や「私のお気に入りの奈良」「奈良旅空想プラン」などを
テーマに募集し、ご応募いただいたエッセイ42作品が掲載されています。

エッセイに書かれた「奈良への想い」に共感したり共鳴したり
「奈良」や「旅」をキーワードに「奈良へ旅する楽しさ」を共有できれば幸いです。
尚、エッセイ応募期間は2013年12月1日より2014年2月10日まででした。
このブログでは受付順に作品番号を付けて発表しています。
名前に関しては匿名希望の方もいらっしゃいましたのでイニシアルで表示し
都道府県名、年代、性別も参考に表記しています。
また、このブログ内エッセイの著作権は作者に、優先使用権は主催者に帰属しますので
作品の無断転載やエッセイ内文章の無断利用を禁止致します。

「奈良の旅人」エッセイについての詳しいことはこちらを参照下さい。
また応募作品の中から、3名の選考委員がそれぞれ入賞作品と大賞を選びました。
「奈良倶楽部大賞」については、こちら
「倉橋みどり」選考委員賞については、こちら
「生駒あさみ」選考委員賞については、こちら
「多田みのり」選考委員賞については、こちら
に、それぞれ選考委員の講評とともに発表しています。


2014年3月14日金曜日

奈良の旅人エッセイ-42-

「春日山から飛火野辺り
 ゆらゆらと影ばかりむ夕暮れ
 の森のに
 たずねたずねた 帰り道」

  これはさだまさし作詞「まほろば」の冒頭部分である。高校入学直後に友人から紹介されたアルバム「帰去来」の中の「飛梅」という詩の虜となっていた私は、 新アルバム「夢供養」に収められたこの曲の登場でファンになることを決定づけられたのであった。ニューミュージックの分野での和の世界の展開に完全に魅せられてしまったのであるが、これが、奈良に傾倒する入り口となった。その後、「夢しだれ」「修二会」と奈良を題材にした詩が続き、さらに深く奈良にのめり込んでいった。週末、時間があれば、奈良を散策し、行けば行ったで新発見、雑誌やテレビ番組で新しい情報を得れば実際に行ってみて確認するというような旅のしかたをしてきた。
 奈良に頻繁に通うようになってからも、自分の中で「京都OR奈良?」という自問が常に頭の片隅にあったのだが、ある日突然吹っ切れた。それは、京都は日本の伝統、文化、慣習や日常生活に至るまで、その全てが日本独特、固有で平安時代以降の千数百年かけて培ってきたものであふれている。でも私には、それらが少々重たく息苦しい。どの観光地に行っても人があふれていてそれだけで疲れることすらあったりする。それに対して、 奈良はどうだろう?幸か不幸か、適度な観光客数で、伝統文化が重くのしかかってくるという気配は感じられない。日本古来のものというより、外国から入ってきたものがそのまま根付き、自然にそこにある、ではないか。正倉院展に行くようになって特にこのように思うようになった。「京都OR奈良」で、行き先に迷っている人には私は迷わず奈良を薦めるようになった。ここ数年のお気に入りは、奈良写真美術館~ささやきの小径経由~東大寺~二月堂、というコースであ る。椿と萩の時期なら、百毫寺からスタートすることにしている。奈良写真美術館では奈良公園以外の地域も観れるし、テーマに添って違う奈良や数十年前の奈良に出会うこともある。特別展の時には国立博物館に立ち寄ったり、桜や新緑の時期には浮雲園地でゆっくりする。二月堂から見る落日に遥か悠久の奈良時代に思いを馳せるのである。同じコースでもどこか新しく、いつも楽しい。それが奈良を旅する最大の魅力になっているのかもしれない。

奈良県在住 F.K.様 50代 女性

2014年3月13日木曜日

奈良の旅人エッセイ-41-

私の奈良通いの原点は、高校3年を目前にした春休みにあります。修学旅行ではなく、自由参加の社会科学習旅行というもので、奈良と京都にやって来ました。初日は吉野を団体でめぐり、翌日以降はすべて自由行動という日程でした。吉野見学の日の宿泊は多武峰だったので、次の日は近くの聖林寺を訪ねることになりました。
このとき十一面観音を拝見して、この世にこんなに美しいものがあるのか、と衝撃を受けたのです。西洋かぶれで新し物好きの東京の高校生にとって、それまで仏像はまったく縁遠いものでしたが、静かな山あいのお寺の収蔵庫で対峙した瞬間、その崇高さがすっと心に入ってきたのでした。
明くる日には秋篠寺で伎芸天を拝見し、仏像への思いは決定的なものになりました。その場を立ち去りがたく、お堂を出るときに何度も振り返って、伎芸天のお姿を脳裏に刻もうとしたことを覚えています。
大学に進学してからはみずを得た魚のように頻繁に奈良を訪ね、あちらこちらを見てまわりました。法隆寺夏季大学に通い、奈良公園はもちろんのこと、佐保・佐紀路、西の京、山の辺の道、葛城古道、飛鳥、今井町、室生、五條……。仏像だけではなく、それを安置するお堂、古い町並み、またそれらを包み込む景観全体など、見るものすべてが心に響き、奈良がまるごと宝石箱のように思われました。仏像や神社仏閣ならほかの地域にもありますが、なぜか奈良にだけ磁力を感じるのです。
奈良の風景の魅力として、寺社と自然との共存があげられるように思います。東大寺の境内には小川がくねくねと流れていたり、突然 深い谷が現れたりします。春日大社は御蓋山の傾斜をそのままに建てられたので、回廊の垂木の断面が、長方形ではなく平行四辺形になっていますし、直会殿の屋根を突き破って、イブキの木が伸びています。自然とともに長い歴史を刻み、奈良の風景が育まれてきたのだと感じます。
学生時代から興味を持って追いかけているものに、寺社の行事があります。特に今年1263回を数える東大寺のお水取りや、同じく879回目の春日若宮おん祭は、数々の変遷を経ていながらも古の趣を今に伝えています。その場にいると、眼前にはるか昔の光景が真空パックされて立ち現れてくるような思いがします。
行事や仏像などの文化財が長い間伝えられてきたというのは、それだけでもすばらしいことですが、その背後には伝え守ってきた人々の存在があったことを忘れてはいけないと思います。
神職や僧侶の方々のお話を聞く機会に、神様や仏様、お寺の創建者や中興者に対する深い敬意が感じられることがあります。そのような思いを持った方々が、伝統を次代につなぐ場にいてくださるのは、なんとも心強いことです。
最近は神社のおもしろさに目覚め、奈良通いがますます楽しくなってきました。これまでお寺を中心に奈良を見てきましたが、そこに神社という視点が加わると、また新たな眺望が開けてくるのです。そして、奈良は神仏習合の都であったのだと深く実感させられます。
何度通っても発見があるのが奈良のすばらしいところだと思います。毎回小さな発見をして、満ち足りた気分で奈良を後にします。何度味わってもおいしい。このような場所はなかなかないのではないでしょうか。

東京都在住 K.N.様 女性

2014年3月12日水曜日

奈良の旅人エッセイ-40-

表参道の大坊珈琲店が12月で閉店された。
有名なお店で、私は気後れして二、三度しか行かなかったけれど、おいしい珈琲だった。
珈琲のような焦げ茶色の空間だった。
そういえば、ちょっと冒険して焦げ茶色の帯締と帯揚を買った日も大坊さんで一休みしたのだ。自分の色ではないと思いながら、使いこなせるかなとどきどきしながら包みを少し開けてみた。焦げ茶色の思い出だ。
嗜好品は人の暮らしの一部だから、それを味わう時間と空間がなくなるということは、通われていた方には大変な出来事だろう。
嗜好品ではないけれど、私が好きで通う奈良も無くてはならないものになっている。

正倉院展の時期に京都と奈良に行くようになってかれこれ二十年になるが、年々奈良が好きになる。年の離れた先輩が「毎年、正倉院展に行っているのよ」とおっしゃるのを聞いて、私もそのような人になりたいと憧れたのだ。
最初は京都で過ごす時間が長かった。買い物も食事も観光も、精一杯背伸びして目一杯予定を詰め込む欲張った旅だった。
それが、年々、奈良の比重が高くなり、このあいだはとうとう京都には立ち寄らなかった。
したいことを挙げたら全部奈良だったのだ。

奈良が好きということを説明するのは難しい。でもせっかくエッセイというお題をいただいたから考えてみよう。

朝、 奈良倶楽部さんを出てまずは東大寺に向かう。今日は夕方に正倉院展に行けばいいので、それまで好きにしていいのだ。講堂跡あたりをゆっくりと歩きながら、 奈良の空気に自分をなじませる。二月堂の裏参道沿いの小川は水が多い。前夜の雨のせいだろう。看板につられて流れをじっと見ていたら沢蟹がいるのがわかった。
石段はいいなあと思う。土塀も瓦屋根もいいなあと思う。
二月堂はお水取り以来のことで、前回のことを思い出しながらゆっくりお参りさせていただく。

どうしてこんなに奈良が好きなのか、奈良の何が好きなのかと思いながら、二月堂脇の階段に立ってみた。
瓦屋根、空の青と雲の白、たたなづく青垣、石段、地面、木々の緑。お堂の材や扉の色。鹿と草。はじめはそれらがかたまりでしかなかったが、ただただ立っていると、瓦の一枚一枚や石段の石ひとつひとつが見えてきた。鳥の声や人の話し声も耳に入ってきた。デジタルカメラの画素数が上がるように景色の一つ一つが鮮明に見えてきた。どれもが好ましい。それらをひっくるめて奈良の景色を愛してるんだと思った。お天気も良くて幸せだ。いつもの画素数にもどして階段を下りた。

私の奈良は何色とはひとことでは言えないけれど、二月堂から見る景色が入ることはまちがいない。のどかな広い空。気持ちのいい人々。いつも同じところを回って、また会えたねと挨拶してまわる。

正倉院展に焦がれて毎年通ううちに、奈良そのものがなくてはならないものになっていた。

奈良はおおらか。
何かが、ない。
奈良に身を置くとほっとする。
のびのびする。
何も気にならなくなる。
奈良は私に何も求めない。
ただ、奈良でいてくれる。

神社が空っぽな空間であるように、奈良にも何か空っぽさがあるように思う。
だから、ただいていい。

むかし都だった。
信仰に守られている。
その恩恵に預かっている。

京都で奈良線に乗り換えると心がほどけていくのがわかる。
宇治川を渡るとき、わくわくする。
帰る時、近鉄の車窓から朱雀門に「バイバイ、また来るね」という。

日本橋で運良く柿の葉寿司や御城之口餅が買えた時はものすごくうれしい。この飾らないおいしさこそ奈良だ。いや、もう完成されているので飾ることを必要としないのだ。

ちょっとくたびれたとき、奈良倶楽部さんのブログをのぞきに行く。
するといつもの奈良の景色があって、「ああ、いいなあ」と心が洗われる。
「また行こう、奈良」と思ってちょっと元気が出る。
ありがとう、奈良。私が行くまでまたいつもの感じで待っててほしい。

東京都在住 40代 女性

2014年3月11日火曜日

奈良の旅人エッセイ-39-

 私は奈良で生まれ、結婚するまで奈良で数十年暮らしていました。
 奈良に長年住んでいた者として、奈良観光の際に一つ提案があります。訪れる地域について、ほんの少しでも歴史背景などの予備知識を頭に入れておくと理解がぐっと深まり、旅が何倍も充実したものになることでしょう。
 
 予備知識なしでも楽しめるけれど、あれば更に楽しめるスポットとして、私は「ならまち」をおすすめします。ならまちとは、猿沢池の南部に位置する歴史的町並みが残る地域の通称で、ほぼ全域が元興寺の旧境内にあたります。今や世界遺産として知られる元興寺、飛鳥時代に飛鳥の地に建てられた法興寺が前身で、平城京遷都に伴ってこの地に移転し元興寺となりました。  
 
 ならまち散策マップを片手にならまちを歩くと、色々な歴史的風景に出会います。
 ならまちの中心に上街道と記されているのは、古代の上ツ道とよばれる道路で、奈良盆地を南北に縦貫する大和三道の一つでした。厳密に言うとこの道は、南北真っ直ぐに通ってはい ません。散策マップを見ても、「奈良町物語館」を避けるように迂回しています。その秘密は物語館に入ればわかります。ここは元興寺の金堂が建っていたところで、物語館では金堂の礎石を見物することができます。  
 
 ところで、散策マップを更によく見ると、元興寺という標示が三つあることに気づきます。
 ならまちに元興寺が三つ?はじめは意味がわからず混乱しました。調べてみたところ、室町時代の土一揆で金堂などの主要な建物が焼失し、五重塔、観音堂、極楽坊のみが焼け残ったらしいです。その後これらは、五重塔と観音堂の一郭、小塔院、極楽坊の三寺に分立することになったそうです。
 現在、世界遺産とされているのは極楽坊のことで、1977年までは元興寺極楽坊と称していました。それまでは元興寺と言えば、芝新屋町にある塔跡を指していたらしいです が、この年以降は正式に極楽坊のことを指すようになりました。    
 
 極楽坊は有名だけど、塔跡や小塔院はどこにあるのか・・散策マップを頼りに歴史の跡を辿るのもおもしろいです。
 私個人としては、極楽坊、小塔院は真言律宗、塔跡元興寺は華厳宗と、宗派が異なるのが何故なのかが気になります。前者二つは西大寺、後者は東大寺の末寺であり、それぞれの宗派を継いでいる理由かららしいですが、そもそも元は同じ寺なのに、何故別々の末寺になったのかが謎のままで す。
 ならまちを数回歩いたら何かのヒントに出逢うかもしれません。  
 
 町の隅々に歴史の流れを感じながら、疲れたら可愛いカフェでお茶して休憩・・次はどこを訪れててどこのお店に入ろうかな・・考えただけでワクワクします。
 私は次回ならまちを訪れる際は、点在するお寺を巡りたいと思っていま す。中将姫ゆかりの尼寺である誕生寺にも行ってみたいです。もちろん、それぞれのお寺についてちょっと予習をして理解を深めてから訪れたいと思っていま す。

京都府在住 I.R.様 40代 女性

2014年3月10日月曜日

奈良の旅人エッセイ-38-「奈良旅と私」

「奈良旅と私」      
               
 早寝早起きが自然に出来る奈良の旅。たくさん歩いて疲れたら、日付が変わるころにはベッドでぐっすり。そして目覚めたら美味しい朝ごはんが待っている。朝ごはんを食べながら太陽の光を浴びていると、あぁ健康的な瞬間だなぁ。そんな風にいつも思う。     
  5,6年前、小学生ぶりに友達と奈良を訪れた。その時はあいにくの雨降りだったけど、久しぶりに見る東大寺の大仏様の大きさに感動し、柱の小さな穴をぎりぎり通り抜けた自分の身体で、あの頃からかなりの月日が経ったことを痛感した。そんな旅から今まで奈良を訪れない年は無い。何が私をそんなに奈良に惹きつけるのだろう。きっかけは好きなアーティストの故郷、そんなミーハーな気持ちからだったけど、何度も訪れるうちに今では自分にとって大切な大好きな場所になった。私から伝染して、両親も奈良好きに。燈花会の季節が来る度に、大切な思い出も増えていく。                   
 誰かと一緒に奈良を旅する、もちろんそれもかけがえのない時間。でも思い起こすと、私の奈良旅は一人が多い。人の波に流されて、時間を気にしながら早足で歩く毎日。そんな生活の中で溜まっていくもやもやした毒素みたいなもの。そんなものが溜まってくると、ふとした瞬間にあぁ、奈良に行きたい。と呟いている自分がいる。黒くなりそうな心を白へと戻してくれる、私にとって奈良はそんな場所。奈良の人の優しさや、景色や空気に触れてどんどん心の毒素が抜けていく。
 一人で旅をしていると、時々少し寂しくなる瞬間もある。でも一人だからこそ生まれるお寺の方との会話が嬉しい。お寺の事、仏様の事、時には人生についてのお話もとびだしたりして、先輩のお話は心に染みる。壁にぶつかったり、心が傷ついたりした時、気持ちを切り替えて前へと進む力をもらいたい時、私の心はいつも奈良へと向かう。心のままに奈良へ行けば、変わらず迎えてくれる人がいて、大好きな景色がある。大仏様は大きな身体で大丈夫だよといつでも受け止めてくれる。何度も訪れるうちに自分のお気に入りのお寺や仏様に出会えたり。そんな場所を巡って自分の時間を急がずゆっくり過ごせば、旅が終わる頃には、背中を少し押してもらって、また頑張るかと思えている自分がいる。
充電完了!
 それでも日々の生活の中でまた充電が切れてしまいそうな時、私は奈良旅へと出発。そんな風にして奈良を訪れる度、大切な瞬間が増えていくから、私は奈良旅をもうやめられない。

東京都在住 O.A.様 30代 女性

2014年3月9日日曜日

奈良の旅人エッセイ-37-「奈良って・・・」

「奈良って・・・」

     「奈良はなぁ、神さんも仏さんもいてはんねん。
      ほんでな、そこで鹿も人も暮らしてる。
      それが 奈良やねん。」

    奈良に生まれて、そこそこの年月が経ちました。
   そこそこと云っても、1300年と流れるこの地では、あっという間のこと。
   その「わたくしのそこそこ」の間に奈良の町はというと、大きく変わった所あり、
   また、全く変わらない所あり。いろんなことが混在しています。
    さて、奈良でずっと暮らす私ですが時折、返事に困る質問を投げかけられます。
   「奈良ってどんなとこ?」
   「奈良が好きですか?」
    正直に云えば「嫌いやないけど、好きかてゆうたら好きでもない・・・」 
   「どんなとこってゆうてもなあ・・?」
    でも、そんな私も奈良をどう見てきたのか、何か伝えられることがあるのかと
   気になり始めてきたのも、寄る年波のせい?
    ほんとうは、平凡な日常に埋もれてしまっているあたりまえの中にこそ、
   自分にとっての特別な場所や、心を動かされる事、思いがあるのがわかってきました。

      ・路地を歩けば過去に引き込まれるかのような不思議な感覚
      ・春日大社へ歩く砂利の音
      ・二月堂の裏の静寂で冷たい空気
      ・お堂の闇からきこえる声明
                                
    気がつけば私はいつでもタイムスリップしています。
   そこは、情景も空気感も、幼い頃からなんら変わることがありません。
   過去と今が共振しているように。

    変わらないということは、生活する者にとれば時代に添わない不便さや
   不満をもたらします。生活や経済の発展、進歩、質の向上の為には、変わる
   力を持ち、より良い暮らしを実現させる努力と実行力が不可欠です。
    ただ、奈良は変わらないことで、有形無形の文化遺産を守り、その精神を
   つなぎ、支えてきました。そして、その「変わらない」の中には、神社仏閣が果たす
   役割と共に、「神さんも仏さんもいてはる。見守ってくれてはる。」という奈良の人々の
   心の持ちよう、感謝の気持ち。それから、神の遣いとされる鹿との共存・・。
   そんなことすべてが、連綿と受け継がれ、変わらぬ空気の中にあたりまえに存在して
   きたからこそ、奈良は奈良として在り続けているのだと思うのです。

    奈良へ来られる旅行客の中に、「戻ってくるという感じがする」「ほっとする」
   「懐かしい感じ」と云ってくださる方がおられます。
   それはきっと、奈良がその”変わらない”という大らかな部分を保ち続けているから
   かもしれません。
    いつも、どんな時も、誰にでも、静かな眼差しを向け大きな手を差し出し、生きとし
   生ける者すべての平和を願っておられる大仏さんは、そんな奈良の象徴です。

    「奈良ってどんなとこ?」 
   「奈良は神さんも仏さんもいてはって、そこで鹿も人も暮らしてんねん」
    「奈良が好きですか?」
   「好きと云うより、私にとってはかけがえのない所なんやと思う」

    悠久の歴史が流れるここは、見えないもの、聞こえないものが確かに存在します。
   そこで何を感じるかは人それぞれですが、そこには、人に内在する何かを呼び起こす
   力もあると私は思っています。奈良の空気の中にあたりまえにあるのです。
    
    ほっこりしてるけど、奥が深くミステリアス。

    結局、半世紀とちょっとぐらいの年月ではまだまだわからないことだらけ。
   奈良は魅力が尽きない所です!

 奈良県在住 I.M.様 50代 女性

2014年3月8日土曜日

奈良の旅人エッセイ-36-「わたしの奈良」

「わたしの奈良」        

 私のパソコンのお気に入りブログには 奈良倶楽部、雑賀さん,鉄田さん、かぎろいさん、エミリンさんが入っている。
 朝、小さな薬局を開くと、来客のあるまで新聞を読み、お嫁さんが毎週アップしてくれる孫たちの写真や動画を楽しみ、そのあと、ゆっくりお気に入りを読みながら気持は奈良にとんでいるのである。
 そんなに奈良が好きならソムリエ検定を受ければどうですか、と勧められたので検定のテキストを買って、お勉強を始めたけれど、段々何十年前の受験生の気分になってきた。私の本来の奈良への思いと根が異うことに気が付いた。
 私を奈良にひきつけたのは古事記、万葉集だった。古人がどういう風景の中で暮らし、政治を行い、恋を語り、闘争があったのか、少しでも肌で感じたいと思う。奈良には嬉しいことにその名残がある。
 古都ファンには京都派と奈良派があるという人がいる。私はどちらも好き。仲のいい友や同窓の友との集いは京都が選ばれることが多いし沢山の思い出もある。 観光性の違いだろうと気が付いた。 奈良は同じ興味、意識をもっている人としか楽しめない。私は今は家の中で二人っきりになった夫と奈良の楽しみを共有できて幸いだった。
 テーマをもてばどんどん奈良にはまる。そこにソムリエの方々や奈良を心底愛しているブログの方々のおかげで私はその下敷きをもって次の奈良行きを今日も計画している。


広島県在住M.K.様 女性

2014年3月7日金曜日

奈良の旅人エッセイ-35-「匂う」

「匂う」

 奈良には空気に匂いがある。
 近鉄奈良駅から地上への階段をあがるにつれ、視界には東の山並みが、そして鼻孔にはこの町独特の匂いが入ってくる。あぁまた奈良に来たんだなぁ、としみじみ感じる瞬間である。

  「ここは町方(まちかた)に融けている」と書かれたのは司馬遼太郎氏で、それは東大寺境内の西辺についてであった。転害門以外にさしたる結界のないさまを そう表現されたのだが、よく考えてみれば、奈良公園一帯はすべて「融けている」のではなかろうか。なにせ名所のほとんどが地つづきで、あいだを隔てる塀や 柵、門がほぼない。あっても役を果たしていない。どこもかしこもイケイケなのだ。東向商店街から数歩脇へそれるとそこはもう興福寺の境内で、目の前にはい きなり築数百年の伽藍が現れる。三条通はそのまま春日大社の参道へつづき、やがて春日山遊歩道となる。東大寺の南大門を二十四時間出入りできるのも、よそ 者からすると驚異である。
 ここでは、非日常と日常、自然と人間、旧と新、聖と俗……いろんなものが境なく融け合っているのだ。もっと言えば、車の走行を平然とさえぎり、人の面前で脱糞あそばす神鹿の存在など、その最たるものだろう。人間と動物のあわいさえも「融けている」。
 
 そんな奈良では、私のような旅人もおのずと「融けて」、身も心もオープンにならざるをえない。ヨロイやフンドシはどこへやら、温泉につかっているかのように心底くつろぐ。開放感にひたりつつ深々と息をつくと、身内に満ちてくるのが、この町独特の空気、匂いだ。
  枯芝の匂い。若草の匂い。樹木の匂い。日なたの匂い。土の匂い。鹿の体臭や糞臭。伽藍を支える木材の、檜や杉の匂い。古い建物にしみついた埃臭さや黴臭 さ。たちのぼる線香の薫煙。……いろんなものが融け合い渾然一体となった空気は、どんなハーブともアロマオイルともちがう、えも言われぬ匂いで、私を陶然 とさせるのである。
 一度、初夏の雨上がりに奈良入りしたおり、蒸散作用もあったのか、この「奈良の匂い」が猛烈に立ちのぼっているのに出くわしたことがある。夜更けて奈良倶楽部のベッドに入ったあとも、窓から空気が流れ込み、一晩中まるでアロマテラピー状態だった。
 書いているうちに、またぞろあの匂いが恋しくなってきた。常習性がつよいのかもしれない。私が奈良通いをやめられない所以である。

東京都在住 F.A.様 40代 男性

2014年3月6日木曜日

奈良の旅人エッセイ-34-「大和三山」

「大和三山」
                    
 「おーい、ちょっと見てごらん。お嫁さんが行くよ」小高い山を背景に一面の麦畑。穂が波を描く中、花嫁さんが一行が歩いて行く。大和棟の一軒家が見える田園風景は昭和二十六年、小津安二郎監督による映画「麦秋」の一場面。この背景となった山が我が家の近くである耳成山と知ったのは割に最近のこと。和箪笥の中に仕舞ってあったはずのビデオを探し出して見ることにした。父か母が大切にしていたものである。時間を忘れて見入ってしまった。失われて久しい懐かしい風景、言葉づかいそして風習が静かに描かれていた。
今、田畑は住宅地になり、麦畑も幻になった。遠い記憶の中にだけ実った麦が風に揺れる。
  耳成山は駅から近いうえ、一三九メートルと手軽に登れることから多くのハイカーが訪れる。私も老化防止のためと称して折々に登るが森の匂い、鳥の囀りに心まで癒される。麓の公園は春の桜、夏の緑、秋の紅葉、冬だって霜の降りた風景が美しい。池の周囲をめぐると西の彼方には大津皇子が眠る二上山。家から三十分も自転車を走らせると畝傍山登山口に着く。耳成山よりは登りにくいが山頂からの風景は見事である。以前、よく上った金剛・葛城・二上連山が目の前に広がる。今はここから見るだけになってしまったけれど。
 山頂から西側に下り、畝傍山口神社に着く。二月にはお多福とひょっとこの面をつけての「おんだ祭」が行われる。田植えの仕草が面白おかしく展開され、雀やカラスも登場して祭は盛り上がる。実家は兼業農家だったから、祭の仕草に父母を重ね、楽しんだ。
  数年前、友達と静かな冬の飛鳥と大和三山の一つである香具山へ登った。後から駈けながら「上に何かありますか」と叫ぶ声に驚いて振向き、「小さな祠が」と言いかけ、身体が固まった。息を切らしながら叫んでいるのは、確か女優、しかも有名な。でもとっさに名前が浮かばない。すると「携帯持ってますか」と聞かれる。あわてて差し出すと「桃井かおりです。今道に迷って」と話している。私は「はー、えー、あー」と意味のない声を出すのが精いっぱい。「池、神社、狛犬・・・あるところは?」後は聞き取れない。矢継ぎ早に聞かれるが、女優さんとの初対面で頭は思考停止状態となった。結局、すごいとしか言いようのない慌て方で兎のように飛んで下りて行った。
 頂上ではスタッフが探している様子。「この道を下へ」と伝えた。山を下り、村の人と話していると河瀬直美監督が映画を撮影しているのだと言う。昭和二十年代は小津監督が、平成では河瀬監督が大和三山を舞台に映画を撮る。天の香具山、天からの贈り物だっ たねと言いながら家路をたどった。大和三山は今もドラマを生み続ける。三山を散歩道にできる幸せをしみじみ思う。奈良大好き。

奈良県在住 K.T.様 60代 女性