2014年3月6日木曜日

奈良の旅人エッセイ-34-「大和三山」

「大和三山」
                    
 「おーい、ちょっと見てごらん。お嫁さんが行くよ」小高い山を背景に一面の麦畑。穂が波を描く中、花嫁さんが一行が歩いて行く。大和棟の一軒家が見える田園風景は昭和二十六年、小津安二郎監督による映画「麦秋」の一場面。この背景となった山が我が家の近くである耳成山と知ったのは割に最近のこと。和箪笥の中に仕舞ってあったはずのビデオを探し出して見ることにした。父か母が大切にしていたものである。時間を忘れて見入ってしまった。失われて久しい懐かしい風景、言葉づかいそして風習が静かに描かれていた。
今、田畑は住宅地になり、麦畑も幻になった。遠い記憶の中にだけ実った麦が風に揺れる。
  耳成山は駅から近いうえ、一三九メートルと手軽に登れることから多くのハイカーが訪れる。私も老化防止のためと称して折々に登るが森の匂い、鳥の囀りに心まで癒される。麓の公園は春の桜、夏の緑、秋の紅葉、冬だって霜の降りた風景が美しい。池の周囲をめぐると西の彼方には大津皇子が眠る二上山。家から三十分も自転車を走らせると畝傍山登山口に着く。耳成山よりは登りにくいが山頂からの風景は見事である。以前、よく上った金剛・葛城・二上連山が目の前に広がる。今はここから見るだけになってしまったけれど。
 山頂から西側に下り、畝傍山口神社に着く。二月にはお多福とひょっとこの面をつけての「おんだ祭」が行われる。田植えの仕草が面白おかしく展開され、雀やカラスも登場して祭は盛り上がる。実家は兼業農家だったから、祭の仕草に父母を重ね、楽しんだ。
  数年前、友達と静かな冬の飛鳥と大和三山の一つである香具山へ登った。後から駈けながら「上に何かありますか」と叫ぶ声に驚いて振向き、「小さな祠が」と言いかけ、身体が固まった。息を切らしながら叫んでいるのは、確か女優、しかも有名な。でもとっさに名前が浮かばない。すると「携帯持ってますか」と聞かれる。あわてて差し出すと「桃井かおりです。今道に迷って」と話している。私は「はー、えー、あー」と意味のない声を出すのが精いっぱい。「池、神社、狛犬・・・あるところは?」後は聞き取れない。矢継ぎ早に聞かれるが、女優さんとの初対面で頭は思考停止状態となった。結局、すごいとしか言いようのない慌て方で兎のように飛んで下りて行った。
 頂上ではスタッフが探している様子。「この道を下へ」と伝えた。山を下り、村の人と話していると河瀬直美監督が映画を撮影しているのだと言う。昭和二十年代は小津監督が、平成では河瀬監督が大和三山を舞台に映画を撮る。天の香具山、天からの贈り物だっ たねと言いながら家路をたどった。大和三山は今もドラマを生み続ける。三山を散歩道にできる幸せをしみじみ思う。奈良大好き。

奈良県在住 K.T.様 60代 女性