2014年3月10日月曜日

奈良の旅人エッセイ-38-「奈良旅と私」

「奈良旅と私」      
               
 早寝早起きが自然に出来る奈良の旅。たくさん歩いて疲れたら、日付が変わるころにはベッドでぐっすり。そして目覚めたら美味しい朝ごはんが待っている。朝ごはんを食べながら太陽の光を浴びていると、あぁ健康的な瞬間だなぁ。そんな風にいつも思う。     
  5,6年前、小学生ぶりに友達と奈良を訪れた。その時はあいにくの雨降りだったけど、久しぶりに見る東大寺の大仏様の大きさに感動し、柱の小さな穴をぎりぎり通り抜けた自分の身体で、あの頃からかなりの月日が経ったことを痛感した。そんな旅から今まで奈良を訪れない年は無い。何が私をそんなに奈良に惹きつけるのだろう。きっかけは好きなアーティストの故郷、そんなミーハーな気持ちからだったけど、何度も訪れるうちに今では自分にとって大切な大好きな場所になった。私から伝染して、両親も奈良好きに。燈花会の季節が来る度に、大切な思い出も増えていく。                   
 誰かと一緒に奈良を旅する、もちろんそれもかけがえのない時間。でも思い起こすと、私の奈良旅は一人が多い。人の波に流されて、時間を気にしながら早足で歩く毎日。そんな生活の中で溜まっていくもやもやした毒素みたいなもの。そんなものが溜まってくると、ふとした瞬間にあぁ、奈良に行きたい。と呟いている自分がいる。黒くなりそうな心を白へと戻してくれる、私にとって奈良はそんな場所。奈良の人の優しさや、景色や空気に触れてどんどん心の毒素が抜けていく。
 一人で旅をしていると、時々少し寂しくなる瞬間もある。でも一人だからこそ生まれるお寺の方との会話が嬉しい。お寺の事、仏様の事、時には人生についてのお話もとびだしたりして、先輩のお話は心に染みる。壁にぶつかったり、心が傷ついたりした時、気持ちを切り替えて前へと進む力をもらいたい時、私の心はいつも奈良へと向かう。心のままに奈良へ行けば、変わらず迎えてくれる人がいて、大好きな景色がある。大仏様は大きな身体で大丈夫だよといつでも受け止めてくれる。何度も訪れるうちに自分のお気に入りのお寺や仏様に出会えたり。そんな場所を巡って自分の時間を急がずゆっくり過ごせば、旅が終わる頃には、背中を少し押してもらって、また頑張るかと思えている自分がいる。
充電完了!
 それでも日々の生活の中でまた充電が切れてしまいそうな時、私は奈良旅へと出発。そんな風にして奈良を訪れる度、大切な瞬間が増えていくから、私は奈良旅をもうやめられない。

東京都在住 O.A.様 30代 女性

2014年3月9日日曜日

奈良の旅人エッセイ-37-「奈良って・・・」

「奈良って・・・」

     「奈良はなぁ、神さんも仏さんもいてはんねん。
      ほんでな、そこで鹿も人も暮らしてる。
      それが 奈良やねん。」

    奈良に生まれて、そこそこの年月が経ちました。
   そこそこと云っても、1300年と流れるこの地では、あっという間のこと。
   その「わたくしのそこそこ」の間に奈良の町はというと、大きく変わった所あり、
   また、全く変わらない所あり。いろんなことが混在しています。
    さて、奈良でずっと暮らす私ですが時折、返事に困る質問を投げかけられます。
   「奈良ってどんなとこ?」
   「奈良が好きですか?」
    正直に云えば「嫌いやないけど、好きかてゆうたら好きでもない・・・」 
   「どんなとこってゆうてもなあ・・?」
    でも、そんな私も奈良をどう見てきたのか、何か伝えられることがあるのかと
   気になり始めてきたのも、寄る年波のせい?
    ほんとうは、平凡な日常に埋もれてしまっているあたりまえの中にこそ、
   自分にとっての特別な場所や、心を動かされる事、思いがあるのがわかってきました。

      ・路地を歩けば過去に引き込まれるかのような不思議な感覚
      ・春日大社へ歩く砂利の音
      ・二月堂の裏の静寂で冷たい空気
      ・お堂の闇からきこえる声明
                                
    気がつけば私はいつでもタイムスリップしています。
   そこは、情景も空気感も、幼い頃からなんら変わることがありません。
   過去と今が共振しているように。

    変わらないということは、生活する者にとれば時代に添わない不便さや
   不満をもたらします。生活や経済の発展、進歩、質の向上の為には、変わる
   力を持ち、より良い暮らしを実現させる努力と実行力が不可欠です。
    ただ、奈良は変わらないことで、有形無形の文化遺産を守り、その精神を
   つなぎ、支えてきました。そして、その「変わらない」の中には、神社仏閣が果たす
   役割と共に、「神さんも仏さんもいてはる。見守ってくれてはる。」という奈良の人々の
   心の持ちよう、感謝の気持ち。それから、神の遣いとされる鹿との共存・・。
   そんなことすべてが、連綿と受け継がれ、変わらぬ空気の中にあたりまえに存在して
   きたからこそ、奈良は奈良として在り続けているのだと思うのです。

    奈良へ来られる旅行客の中に、「戻ってくるという感じがする」「ほっとする」
   「懐かしい感じ」と云ってくださる方がおられます。
   それはきっと、奈良がその”変わらない”という大らかな部分を保ち続けているから
   かもしれません。
    いつも、どんな時も、誰にでも、静かな眼差しを向け大きな手を差し出し、生きとし
   生ける者すべての平和を願っておられる大仏さんは、そんな奈良の象徴です。

    「奈良ってどんなとこ?」 
   「奈良は神さんも仏さんもいてはって、そこで鹿も人も暮らしてんねん」
    「奈良が好きですか?」
   「好きと云うより、私にとってはかけがえのない所なんやと思う」

    悠久の歴史が流れるここは、見えないもの、聞こえないものが確かに存在します。
   そこで何を感じるかは人それぞれですが、そこには、人に内在する何かを呼び起こす
   力もあると私は思っています。奈良の空気の中にあたりまえにあるのです。
    
    ほっこりしてるけど、奥が深くミステリアス。

    結局、半世紀とちょっとぐらいの年月ではまだまだわからないことだらけ。
   奈良は魅力が尽きない所です!

 奈良県在住 I.M.様 50代 女性

2014年3月8日土曜日

奈良の旅人エッセイ-36-「わたしの奈良」

「わたしの奈良」        

 私のパソコンのお気に入りブログには 奈良倶楽部、雑賀さん,鉄田さん、かぎろいさん、エミリンさんが入っている。
 朝、小さな薬局を開くと、来客のあるまで新聞を読み、お嫁さんが毎週アップしてくれる孫たちの写真や動画を楽しみ、そのあと、ゆっくりお気に入りを読みながら気持は奈良にとんでいるのである。
 そんなに奈良が好きならソムリエ検定を受ければどうですか、と勧められたので検定のテキストを買って、お勉強を始めたけれど、段々何十年前の受験生の気分になってきた。私の本来の奈良への思いと根が異うことに気が付いた。
 私を奈良にひきつけたのは古事記、万葉集だった。古人がどういう風景の中で暮らし、政治を行い、恋を語り、闘争があったのか、少しでも肌で感じたいと思う。奈良には嬉しいことにその名残がある。
 古都ファンには京都派と奈良派があるという人がいる。私はどちらも好き。仲のいい友や同窓の友との集いは京都が選ばれることが多いし沢山の思い出もある。 観光性の違いだろうと気が付いた。 奈良は同じ興味、意識をもっている人としか楽しめない。私は今は家の中で二人っきりになった夫と奈良の楽しみを共有できて幸いだった。
 テーマをもてばどんどん奈良にはまる。そこにソムリエの方々や奈良を心底愛しているブログの方々のおかげで私はその下敷きをもって次の奈良行きを今日も計画している。


広島県在住M.K.様 女性

2014年3月7日金曜日

奈良の旅人エッセイ-35-「匂う」

「匂う」

 奈良には空気に匂いがある。
 近鉄奈良駅から地上への階段をあがるにつれ、視界には東の山並みが、そして鼻孔にはこの町独特の匂いが入ってくる。あぁまた奈良に来たんだなぁ、としみじみ感じる瞬間である。

  「ここは町方(まちかた)に融けている」と書かれたのは司馬遼太郎氏で、それは東大寺境内の西辺についてであった。転害門以外にさしたる結界のないさまを そう表現されたのだが、よく考えてみれば、奈良公園一帯はすべて「融けている」のではなかろうか。なにせ名所のほとんどが地つづきで、あいだを隔てる塀や 柵、門がほぼない。あっても役を果たしていない。どこもかしこもイケイケなのだ。東向商店街から数歩脇へそれるとそこはもう興福寺の境内で、目の前にはい きなり築数百年の伽藍が現れる。三条通はそのまま春日大社の参道へつづき、やがて春日山遊歩道となる。東大寺の南大門を二十四時間出入りできるのも、よそ 者からすると驚異である。
 ここでは、非日常と日常、自然と人間、旧と新、聖と俗……いろんなものが境なく融け合っているのだ。もっと言えば、車の走行を平然とさえぎり、人の面前で脱糞あそばす神鹿の存在など、その最たるものだろう。人間と動物のあわいさえも「融けている」。
 
 そんな奈良では、私のような旅人もおのずと「融けて」、身も心もオープンにならざるをえない。ヨロイやフンドシはどこへやら、温泉につかっているかのように心底くつろぐ。開放感にひたりつつ深々と息をつくと、身内に満ちてくるのが、この町独特の空気、匂いだ。
  枯芝の匂い。若草の匂い。樹木の匂い。日なたの匂い。土の匂い。鹿の体臭や糞臭。伽藍を支える木材の、檜や杉の匂い。古い建物にしみついた埃臭さや黴臭 さ。たちのぼる線香の薫煙。……いろんなものが融け合い渾然一体となった空気は、どんなハーブともアロマオイルともちがう、えも言われぬ匂いで、私を陶然 とさせるのである。
 一度、初夏の雨上がりに奈良入りしたおり、蒸散作用もあったのか、この「奈良の匂い」が猛烈に立ちのぼっているのに出くわしたことがある。夜更けて奈良倶楽部のベッドに入ったあとも、窓から空気が流れ込み、一晩中まるでアロマテラピー状態だった。
 書いているうちに、またぞろあの匂いが恋しくなってきた。常習性がつよいのかもしれない。私が奈良通いをやめられない所以である。

東京都在住 F.A.様 40代 男性

2014年3月6日木曜日

奈良の旅人エッセイ-34-「大和三山」

「大和三山」
                    
 「おーい、ちょっと見てごらん。お嫁さんが行くよ」小高い山を背景に一面の麦畑。穂が波を描く中、花嫁さんが一行が歩いて行く。大和棟の一軒家が見える田園風景は昭和二十六年、小津安二郎監督による映画「麦秋」の一場面。この背景となった山が我が家の近くである耳成山と知ったのは割に最近のこと。和箪笥の中に仕舞ってあったはずのビデオを探し出して見ることにした。父か母が大切にしていたものである。時間を忘れて見入ってしまった。失われて久しい懐かしい風景、言葉づかいそして風習が静かに描かれていた。
今、田畑は住宅地になり、麦畑も幻になった。遠い記憶の中にだけ実った麦が風に揺れる。
  耳成山は駅から近いうえ、一三九メートルと手軽に登れることから多くのハイカーが訪れる。私も老化防止のためと称して折々に登るが森の匂い、鳥の囀りに心まで癒される。麓の公園は春の桜、夏の緑、秋の紅葉、冬だって霜の降りた風景が美しい。池の周囲をめぐると西の彼方には大津皇子が眠る二上山。家から三十分も自転車を走らせると畝傍山登山口に着く。耳成山よりは登りにくいが山頂からの風景は見事である。以前、よく上った金剛・葛城・二上連山が目の前に広がる。今はここから見るだけになってしまったけれど。
 山頂から西側に下り、畝傍山口神社に着く。二月にはお多福とひょっとこの面をつけての「おんだ祭」が行われる。田植えの仕草が面白おかしく展開され、雀やカラスも登場して祭は盛り上がる。実家は兼業農家だったから、祭の仕草に父母を重ね、楽しんだ。
  数年前、友達と静かな冬の飛鳥と大和三山の一つである香具山へ登った。後から駈けながら「上に何かありますか」と叫ぶ声に驚いて振向き、「小さな祠が」と言いかけ、身体が固まった。息を切らしながら叫んでいるのは、確か女優、しかも有名な。でもとっさに名前が浮かばない。すると「携帯持ってますか」と聞かれる。あわてて差し出すと「桃井かおりです。今道に迷って」と話している。私は「はー、えー、あー」と意味のない声を出すのが精いっぱい。「池、神社、狛犬・・・あるところは?」後は聞き取れない。矢継ぎ早に聞かれるが、女優さんとの初対面で頭は思考停止状態となった。結局、すごいとしか言いようのない慌て方で兎のように飛んで下りて行った。
 頂上ではスタッフが探している様子。「この道を下へ」と伝えた。山を下り、村の人と話していると河瀬直美監督が映画を撮影しているのだと言う。昭和二十年代は小津監督が、平成では河瀬監督が大和三山を舞台に映画を撮る。天の香具山、天からの贈り物だっ たねと言いながら家路をたどった。大和三山は今もドラマを生み続ける。三山を散歩道にできる幸せをしみじみ思う。奈良大好き。

奈良県在住 K.T.様 60代 女性

2014年3月5日水曜日

奈良の旅人エッセイ-33-「私のお気に入りの奈良」

「私のお気に入りの奈良」

堺市に住む友人夫婦は70歳代、私たち夫婦は60歳代だ。
若いときは彼女一人でイタリア、フランスやトルコに旅行していた友人は 最近、奈良くらいの距離が体にちょうどいいと言う。
これからはご主人と一緒に「あまり欲張らずにゆっくり時間を過ごせる場所を探しているの」とおっしゃる。

2011年3月。二月堂では1260回目のお水取りがはじまっていた。
そのさなかの11日、あの東日本大震災と原発の事故が起き、日本中が沈没したかのようになった。
その次の日の夜、お松明の開始前に東大寺の北河原公敬管長がマイクで異例の呼びかけをされたという。いたたまれずにお水取りに出かけた家人が聞いて興奮して帰ってきた。
満行を迎える14日の夜、今度は二人で二月堂の下に立っていた。
北河原管長は広場を埋め尽くした人々に大震災の犠牲者に祈りをささげようと静かな口調で呼びかけられた。次に被災者のためにめいめいが何をできるか考えようとおっしゃった。最後に一人ひとりがそれぞれの場で本分をつくそうと話された。計り知れない心の傷を受けた直後、今こそ仏さまにすがりたい気持ちでいっぱいだった。
心に染み込むお言葉を居合わせた人々は素直に聞いていたと思う。
この話をしたら友人夫妻はぜひお水取りに行きたいと言い、次の年の3月5日、人出が少なそうな日を選んで初めて泊りがけでやってきた。二月堂の下、遠敷社のすぐ横で友人と私たち夫婦の四人が二時間くらいお松明が上がるのを待っていた。少し前から雨が落ちてきたけど気温は季節にしては高めだった。待っている間、寒く感じなかったのだから。雨傘がちょうど遠敷社の柵に引っ掛けられて「特等席だね。」と子供みたいに喜んではしゃいでいたのを覚えている。
午後7時、二月堂に続く登り廊の通路にはピンと張りつめた空気が漂った。
パチパチパチと一気に燃え上がった松明を童子が肩に担ぎ回廊を上っていく、その後には練行衆が続く。登り廊を上った松明が舞台へと進むと 広場を埋めた参拝者からウヮーとどよめきが湧き上がった。しかしお祭りではないのだ。 
ざわめきも一瞬にたち消え全体が祈りに包まれるように感じた。何と荘厳な時間だろう。友人たちも押し黙ったままだった。
薄暗い道を今晩の宿に向かいながら「来てよかったわ」と何度も感謝された。

昨年暮れにも一泊で奈良にお誘いした。4人で二月堂の舞台に上がってみた。空はどこまでも続いている。その日は生駒から大阪あたりまでよく見えた。澄んだ空気を吸い込んで手を合わせると心が洗われるようで清々しい。
これからの人生をどのように過ごしていこうかと考えているのか、それぞれ遠くの景色を見つめていた。全員が老後の不安も感じ始めている…。
二月堂から見る我が家は奈良市内だが京都との境にあって、歩いてちょうど10000歩の距離だ。予定のない日の午後の散歩コースとして楽しんでいる。
二月堂は祈りを通じて自分を見つめ直す場所かもしれない。今度、初めてそう思った。

奈良県在住 S.T.様 60代 女性

2014年3月4日火曜日

奈良の旅人エッセイ-32-「奈良の旅人」

「奈良の旅人」

私と奈良との出会いは、転勤(結婚)による引越しでした。22歳まで生れ育った名古屋を就職と殆ど同時に大阪へ転勤となり大阪の社員寮に住んでいました。24歳で結婚、大阪への通勤圏である奈良市の学園前に住居を借り新婚生活を始めました。
結婚してしばらく子供ができる事無く、友達もいない家内は、働きに行きたいと近鉄奈良駅の近くに勤めに出ました。職場でいろいろな情報(春日大社万灯篭、お水取りなど)を仕入れ疲れて帰宅した私を半ば強引に連れ出したのでした。またベランダから若草山の山焼きが見えたのを今でもはっきり憶えています、そんな素晴らしい所に住んでいたのだと30年経った今あらためて思っています。というのもその頃の私は今のような奈良への思い入れは無かったからです。
そんな生活を3年程過ごし家内がお産のため実家に帰っていた折名古屋本社に転勤の辞令がおり奈良に帰ってくること無く名古屋へ引越す事となった家内はさぞ困惑した事でしょう、家捜しから、引越し段取り、作業、銀行口座切り替えなど私も大変でした。
結婚30年という節目を2010年に迎えた私たちは、記念旅行をしようと言う事で意見が一致、普通だったら海外旅行とか、ちょっと贅沢な温泉旅行がいいかな と思う所ですが、家内は私たちの出発点(原点)奈良へ是非行きたいと譲りませんでした。丁度遷都1300年と重なっていたため奈良は結構な賑わいを見せていました。
その記念旅行で奈良にはまってしまったのは住んでいた時には全くと言っていいほど関心が無かった私の方でした、それからの私たち は何かと奈良へ足を運ぶようになり年に5~6度奈良旅をするようになってしまいました。歴史にも興味を持つようになり奈良に関する書物もよく読みます、奈良の歴史は日本の歴史だと思っています。仏教徒でありながら殆ど興味が無かった私ですが仏教伝来の空気を味わおうと明日香へ行ったり日本の歴史を根本から変えたと思われる大化の改新に想いをはせたり藤原家の足跡を辿ったり興味は尽きることがありません。それと個人的には平城宮跡が大好きです、と言うのは新婚当時お弁当を持って家内と二人でバトミントンなどよく遊んだ思い出があるからです、今ではあの当時とすっかり変わってしまっていますがだだっ広い所だけは変わっていません
いまでは、行き着けの飲み屋さん、喫茶店、常宿、そして奈良で知り合ったご夫婦、お気に入りの鹿。
奈良へ行っても寂しい想いはしません。むしろ名古屋より奈良の方が心落ち着くかも知れません。
人生の楽園(定年後第二の人生)というテレビ番組がありますがもし夢が叶うならば、もう一度奈良の住人になりたいと思っています、出来れば散歩の範囲内に奈良公園があれば幸せです、そして一年を通じていろいろな行事を見て行きたいと思っています。そして今度は“奈良の住人”というエッセイを書きたいと思います。

愛知県在住 U.M.様 男性

2014年3月3日月曜日

奈良の旅人エッセイ-31-「春の大和川」

「春の大和川」
               
 コープで買い物をしての帰り道、大和川沿いに車を走らせていると、 イーゼルを立てて絵を描いている初老の男性が目に入りました。一瞬知っている人のような気がしてスピードをゆるめ、それとなく顔を見ました。私は絵を描いている人を見かけると嬉しくなって、どんな絵なのか興味深々。その人の絵は大和川の土手に咲いている西洋からし菜と深緑の山、それに川でした。おだやかな春の大和川風景です。一面を黄色に染める西洋からし菜は春の風景を鮮やかに彩り、心まで浮き立たせてくれます。
 絵を描いていた初老の男性は見知らぬ人でしたが、今は亡きM先生にどこか面差しが似ている気がしました。町の文化教室で水彩画を教えていただいた方です。風景画が得意の先生でした。デッサンはおおまかでいきなり絵具を塗って仕上げていくやり方はなかなか真似ができません。
「何回も塗ったらだめだよ、色が濁るから」 が口癖でした。私はなかなか色が出せないのに、先生はまるでマジック。さっと色が決まり、水彩画のやさしい絵ができあがります。細かいことは何もおっしゃらず、自由に描かせながら的確なアドバイスをくださるので図画の時間が苦手だった私も楽しく時間を過ごしました。
 法隆寺、法起寺、法輪寺、信貴山、それに大和川や竜田川など先生といっしょに何度も写生に出かけたのでした。絵に描くと、見慣れている風景や寺院がとても新鮮で魅力的に見え、特別の存在になっていきました。
  年代も体型も違う人を、絵を描いているというだけで先生のようにどうして思ったのだろうと思わず笑いかけて、気づきました。4月は先生の命日。「たまには 思い出せよ」とのメッセージだったのかもしれません。私は今も絵を続けています。三室山の桜、平群の山並みといった生活圏からちょっと足を延ばして明日香村や奈良町など、描きたい風景がまだまだたくさんです。先生のことを時々だけど思い出しながら、奈良を描いていくのが私の一番楽しい時。今、寒い庭の片隅に咲く水仙をデッサン中。

奈良県在住 A.M.様 60代 女性


2014年3月2日日曜日

奈良の旅人エッセイ-30-

それは突然視界に飛び込んできた。 
小雨から急に横殴りになった雨脚に、慌てて雨宿りの場所をさがしていた私たちを満開の桜の大木が誘っていた。
雨に打たれた満開の桜ははらはらと花びらを落として花吹雪となり、絵のようなあまりのみごとさにみんなで一瞬見とれていた。
桜をもっと近くで見たい思いで門を入り石畳の小道を伝って行くと、突き当りには立派な石灯篭と古ぼけたお堂があった。
そこだけ時間が止まっているような、なんとも不思議な場所。
ちょうどお堂に雨宿りできる深い軒があったので、小雨になるまで待とうと言うことになった。
あらためて見渡してみると廃墟というのがピッタリなほど静かな中庭で、私たちを除けば桜の大木が妖しいまでに花をつけ存在を主張しているだけだった。
お堂近くの小ぶりの桜の枝も強い風であおられるたびにはらはらと花びらを落とし、それを雨が石畳に強く打ちつけて行く。
そんな様子をボーッと見ていると日常のわずらわしさから解き放たれた自分がいて、気持ちが落ち着いてくるのがわかった。
するとしばらくして、カメラを本格的に習っていて一眼レフを持参していた彼女があたりの景色に触発されたのだろうか、雨傘から入る横殴りの雨をものともせずシャッターを押し始めた。
あとから知ったことだが場所は奈良町の元興寺の塔跡で知る人ぞ知る桜の名所だった。
そして、その日その時間の奈良には一時的に台風なみの低気圧が通過中だったそうだ。
奈良に住み何度も奈良町には足を運んでいるが、雨と満開の桜がなかったらこの場所はずっと知らなかっただろう。
この日は「奈良町に行きたい」という大阪からの若い友人たちを案内していた。
朝からあいにくの雨ふりでほんとうなら憂うつな気分のはずだが何故だか少し違っていた。 
雨が心地良くて、とても満たされた感じがしていたのだ。
塔跡にたどり着く前には格子の家に立ち寄って奈良の古民家を堪能してもらったが、中庭の苔むした石が雨に濡れていい風情を出していた。当然カメラの彼女はシャッターを押しまくっていた。
奈良町に着く前には奈良きたまちでおいしいお昼をいただき、カメラの彼女は隣のうつわ屋さんのノスタルジックな色ガラスに見とれてカメラに収めていた。
そしてお店の人から桜は満開と教えてもらって、きたまちの桜群を雨の中で満喫した。
きたまちに行く前には、県庁の屋上に上がって奈良の眺望を楽しんでもらったが、雨に煙る山々と桜と緑の奈良公園は日本画を見ているようで素晴らしい眺めだった。
もちろん晴れた日の奈良に越したことはないが、「奈良は雨でも心地良い場所が一杯ある」とそんな確信を持てた一日だった。

奈良県在住 K.A.様 60代 女性

2014年3月1日土曜日

奈良の旅人エッセイ-29-「矢も楯も堪らず」

「矢も楯も堪らず」

新幹線と在来線を乗り継いで、大阪駅のホームに立つ。大和路快速の列車に乗り込み、ようやくほっと一息をつく。法隆寺、大和小泉と列車が進むにつれ、いつもの見慣れた風景にこころがときめく。何度訪れようと、奈良への旅はいつも新鮮である。
奈良という場所に、こころ惹かれる理由。それは、古(いにしえ)の人々が見た景色を自分も同じように見ることができるという幸せ、そして古の人々の営みが時を越え、現代の私たちの暮らしへと受け継がれていることを実感できることなのかもしれない。
1300 年前、人々はどんな思いで薬師寺東塔を見上げたのだろう。800年前、慶派の仏師たちはどんな祈りを籠めて、東大寺南大門の仁王像を完成させたのだろう。 広大な平城宮跡を、石仏と出会う山道を、古墳近くの畑道を、ゆっくり自分のペースで歩きながら古代の歴史に思いを馳せる時、自分も確かに悠久の歴史の中の ひとりだと思わせてくれる。
元気の良い時は、東大寺戒壇院の四天王像へと向かう。静謐な空間で、圧倒されそうになりながらも、怒りの像と対峙する。四天王像を見つめながら、けれど自分が本当に向き合っているのは、自分自身であるような不思議な感覚に捉われる。
反対にこころが少し弱くなっている時、優しい気持ちになりたい時は、興福寺の須菩提さまに会いにいく。微笑みを浮かべているように見える穏やかなまなざしを、少し離れた場所から見つめさせていただく。しばらくしてこころが柔らかになったと感じた後、次に両親への手土産に和菓子屋さんを訪れる。
店内に飾られている額、
『かたよらない こころ
 こだわらない こころ
 とらわれない こころ
   ひろく ひろく
 もっと ひろく・・・』
のことばと、若い店主さんの所作の美しさに、ここでも元気をもらう。
何度も何度も訪れたい場所が、奈良を旅するごとにひとつ、ひとつ増えていく。
そして同じように、新しく行きたい場所も増えていく。昨年11月に飛鳥京跡苑池の全容が判明したとの新聞記事が掲載された。天武天皇や持統天皇がこの池を眺めたのだろうか――などと思うと、訪れたい思いが加速する。
「矢も楯も堪らず、奈良に帰りたくなるのは不思議な位だ」と綴ったのは志賀直哉である。そのことばに、「わかる」と大きくうなづく自分がいる。
何度も訪れたい場所がある。新しく見てみたい景色がある。私にとって奈良は、終わりのないユートピアである。

広島県在住 A.K.様 50代 女性