2014年3月1日土曜日

奈良の旅人エッセイ-29-「矢も楯も堪らず」

「矢も楯も堪らず」

新幹線と在来線を乗り継いで、大阪駅のホームに立つ。大和路快速の列車に乗り込み、ようやくほっと一息をつく。法隆寺、大和小泉と列車が進むにつれ、いつもの見慣れた風景にこころがときめく。何度訪れようと、奈良への旅はいつも新鮮である。
奈良という場所に、こころ惹かれる理由。それは、古(いにしえ)の人々が見た景色を自分も同じように見ることができるという幸せ、そして古の人々の営みが時を越え、現代の私たちの暮らしへと受け継がれていることを実感できることなのかもしれない。
1300 年前、人々はどんな思いで薬師寺東塔を見上げたのだろう。800年前、慶派の仏師たちはどんな祈りを籠めて、東大寺南大門の仁王像を完成させたのだろう。 広大な平城宮跡を、石仏と出会う山道を、古墳近くの畑道を、ゆっくり自分のペースで歩きながら古代の歴史に思いを馳せる時、自分も確かに悠久の歴史の中の ひとりだと思わせてくれる。
元気の良い時は、東大寺戒壇院の四天王像へと向かう。静謐な空間で、圧倒されそうになりながらも、怒りの像と対峙する。四天王像を見つめながら、けれど自分が本当に向き合っているのは、自分自身であるような不思議な感覚に捉われる。
反対にこころが少し弱くなっている時、優しい気持ちになりたい時は、興福寺の須菩提さまに会いにいく。微笑みを浮かべているように見える穏やかなまなざしを、少し離れた場所から見つめさせていただく。しばらくしてこころが柔らかになったと感じた後、次に両親への手土産に和菓子屋さんを訪れる。
店内に飾られている額、
『かたよらない こころ
 こだわらない こころ
 とらわれない こころ
   ひろく ひろく
 もっと ひろく・・・』
のことばと、若い店主さんの所作の美しさに、ここでも元気をもらう。
何度も何度も訪れたい場所が、奈良を旅するごとにひとつ、ひとつ増えていく。
そして同じように、新しく行きたい場所も増えていく。昨年11月に飛鳥京跡苑池の全容が判明したとの新聞記事が掲載された。天武天皇や持統天皇がこの池を眺めたのだろうか――などと思うと、訪れたい思いが加速する。
「矢も楯も堪らず、奈良に帰りたくなるのは不思議な位だ」と綴ったのは志賀直哉である。そのことばに、「わかる」と大きくうなづく自分がいる。
何度も訪れたい場所がある。新しく見てみたい景色がある。私にとって奈良は、終わりのないユートピアである。

広島県在住 A.K.様 50代 女性