2014年3月14日金曜日

奈良の旅人エッセイ-42-

「春日山から飛火野辺り
 ゆらゆらと影ばかりむ夕暮れ
 の森のに
 たずねたずねた 帰り道」

  これはさだまさし作詞「まほろば」の冒頭部分である。高校入学直後に友人から紹介されたアルバム「帰去来」の中の「飛梅」という詩の虜となっていた私は、 新アルバム「夢供養」に収められたこの曲の登場でファンになることを決定づけられたのであった。ニューミュージックの分野での和の世界の展開に完全に魅せられてしまったのであるが、これが、奈良に傾倒する入り口となった。その後、「夢しだれ」「修二会」と奈良を題材にした詩が続き、さらに深く奈良にのめり込んでいった。週末、時間があれば、奈良を散策し、行けば行ったで新発見、雑誌やテレビ番組で新しい情報を得れば実際に行ってみて確認するというような旅のしかたをしてきた。
 奈良に頻繁に通うようになってからも、自分の中で「京都OR奈良?」という自問が常に頭の片隅にあったのだが、ある日突然吹っ切れた。それは、京都は日本の伝統、文化、慣習や日常生活に至るまで、その全てが日本独特、固有で平安時代以降の千数百年かけて培ってきたものであふれている。でも私には、それらが少々重たく息苦しい。どの観光地に行っても人があふれていてそれだけで疲れることすらあったりする。それに対して、 奈良はどうだろう?幸か不幸か、適度な観光客数で、伝統文化が重くのしかかってくるという気配は感じられない。日本古来のものというより、外国から入ってきたものがそのまま根付き、自然にそこにある、ではないか。正倉院展に行くようになって特にこのように思うようになった。「京都OR奈良」で、行き先に迷っている人には私は迷わず奈良を薦めるようになった。ここ数年のお気に入りは、奈良写真美術館~ささやきの小径経由~東大寺~二月堂、というコースであ る。椿と萩の時期なら、百毫寺からスタートすることにしている。奈良写真美術館では奈良公園以外の地域も観れるし、テーマに添って違う奈良や数十年前の奈良に出会うこともある。特別展の時には国立博物館に立ち寄ったり、桜や新緑の時期には浮雲園地でゆっくりする。二月堂から見る落日に遥か悠久の奈良時代に思いを馳せるのである。同じコースでもどこか新しく、いつも楽しい。それが奈良を旅する最大の魅力になっているのかもしれない。

奈良県在住 F.K.様 50代 女性