2014年3月20日木曜日

*奈良の旅人エッセイ*とは

このブログには、「小さなホテル奈良倶楽部」開業25周年記念イベントとして
「奈良を旅する楽しさ」や「私のお気に入りの奈良」「奈良旅空想プラン」などを
テーマに募集し、ご応募いただいたエッセイ42作品が掲載されています。

エッセイに書かれた「奈良への想い」に共感したり共鳴したり
「奈良」や「旅」をキーワードに「奈良へ旅する楽しさ」を共有できれば幸いです。
尚、エッセイ応募期間は2013年12月1日より2014年2月10日まででした。
このブログでは受付順に作品番号を付けて発表しています。
名前に関しては匿名希望の方もいらっしゃいましたのでイニシアルで表示し
都道府県名、年代、性別も参考に表記しています。
また、このブログ内エッセイの著作権は作者に、優先使用権は主催者に帰属しますので
作品の無断転載やエッセイ内文章の無断利用を禁止致します。

「奈良の旅人」エッセイについての詳しいことはこちらを参照下さい。
また応募作品の中から、3名の選考委員がそれぞれ入賞作品と大賞を選びました。
「奈良倶楽部大賞」については、こちら
「倉橋みどり」選考委員賞については、こちら
「生駒あさみ」選考委員賞については、こちら
「多田みのり」選考委員賞については、こちら
に、それぞれ選考委員の講評とともに発表しています。


2014年3月14日金曜日

奈良の旅人エッセイ-42-

「春日山から飛火野辺り
 ゆらゆらと影ばかりむ夕暮れ
 の森のに
 たずねたずねた 帰り道」

  これはさだまさし作詞「まほろば」の冒頭部分である。高校入学直後に友人から紹介されたアルバム「帰去来」の中の「飛梅」という詩の虜となっていた私は、 新アルバム「夢供養」に収められたこの曲の登場でファンになることを決定づけられたのであった。ニューミュージックの分野での和の世界の展開に完全に魅せられてしまったのであるが、これが、奈良に傾倒する入り口となった。その後、「夢しだれ」「修二会」と奈良を題材にした詩が続き、さらに深く奈良にのめり込んでいった。週末、時間があれば、奈良を散策し、行けば行ったで新発見、雑誌やテレビ番組で新しい情報を得れば実際に行ってみて確認するというような旅のしかたをしてきた。
 奈良に頻繁に通うようになってからも、自分の中で「京都OR奈良?」という自問が常に頭の片隅にあったのだが、ある日突然吹っ切れた。それは、京都は日本の伝統、文化、慣習や日常生活に至るまで、その全てが日本独特、固有で平安時代以降の千数百年かけて培ってきたものであふれている。でも私には、それらが少々重たく息苦しい。どの観光地に行っても人があふれていてそれだけで疲れることすらあったりする。それに対して、 奈良はどうだろう?幸か不幸か、適度な観光客数で、伝統文化が重くのしかかってくるという気配は感じられない。日本古来のものというより、外国から入ってきたものがそのまま根付き、自然にそこにある、ではないか。正倉院展に行くようになって特にこのように思うようになった。「京都OR奈良」で、行き先に迷っている人には私は迷わず奈良を薦めるようになった。ここ数年のお気に入りは、奈良写真美術館~ささやきの小径経由~東大寺~二月堂、というコースであ る。椿と萩の時期なら、百毫寺からスタートすることにしている。奈良写真美術館では奈良公園以外の地域も観れるし、テーマに添って違う奈良や数十年前の奈良に出会うこともある。特別展の時には国立博物館に立ち寄ったり、桜や新緑の時期には浮雲園地でゆっくりする。二月堂から見る落日に遥か悠久の奈良時代に思いを馳せるのである。同じコースでもどこか新しく、いつも楽しい。それが奈良を旅する最大の魅力になっているのかもしれない。

奈良県在住 F.K.様 50代 女性

2014年3月13日木曜日

奈良の旅人エッセイ-41-

私の奈良通いの原点は、高校3年を目前にした春休みにあります。修学旅行ではなく、自由参加の社会科学習旅行というもので、奈良と京都にやって来ました。初日は吉野を団体でめぐり、翌日以降はすべて自由行動という日程でした。吉野見学の日の宿泊は多武峰だったので、次の日は近くの聖林寺を訪ねることになりました。
このとき十一面観音を拝見して、この世にこんなに美しいものがあるのか、と衝撃を受けたのです。西洋かぶれで新し物好きの東京の高校生にとって、それまで仏像はまったく縁遠いものでしたが、静かな山あいのお寺の収蔵庫で対峙した瞬間、その崇高さがすっと心に入ってきたのでした。
明くる日には秋篠寺で伎芸天を拝見し、仏像への思いは決定的なものになりました。その場を立ち去りがたく、お堂を出るときに何度も振り返って、伎芸天のお姿を脳裏に刻もうとしたことを覚えています。
大学に進学してからはみずを得た魚のように頻繁に奈良を訪ね、あちらこちらを見てまわりました。法隆寺夏季大学に通い、奈良公園はもちろんのこと、佐保・佐紀路、西の京、山の辺の道、葛城古道、飛鳥、今井町、室生、五條……。仏像だけではなく、それを安置するお堂、古い町並み、またそれらを包み込む景観全体など、見るものすべてが心に響き、奈良がまるごと宝石箱のように思われました。仏像や神社仏閣ならほかの地域にもありますが、なぜか奈良にだけ磁力を感じるのです。
奈良の風景の魅力として、寺社と自然との共存があげられるように思います。東大寺の境内には小川がくねくねと流れていたり、突然 深い谷が現れたりします。春日大社は御蓋山の傾斜をそのままに建てられたので、回廊の垂木の断面が、長方形ではなく平行四辺形になっていますし、直会殿の屋根を突き破って、イブキの木が伸びています。自然とともに長い歴史を刻み、奈良の風景が育まれてきたのだと感じます。
学生時代から興味を持って追いかけているものに、寺社の行事があります。特に今年1263回を数える東大寺のお水取りや、同じく879回目の春日若宮おん祭は、数々の変遷を経ていながらも古の趣を今に伝えています。その場にいると、眼前にはるか昔の光景が真空パックされて立ち現れてくるような思いがします。
行事や仏像などの文化財が長い間伝えられてきたというのは、それだけでもすばらしいことですが、その背後には伝え守ってきた人々の存在があったことを忘れてはいけないと思います。
神職や僧侶の方々のお話を聞く機会に、神様や仏様、お寺の創建者や中興者に対する深い敬意が感じられることがあります。そのような思いを持った方々が、伝統を次代につなぐ場にいてくださるのは、なんとも心強いことです。
最近は神社のおもしろさに目覚め、奈良通いがますます楽しくなってきました。これまでお寺を中心に奈良を見てきましたが、そこに神社という視点が加わると、また新たな眺望が開けてくるのです。そして、奈良は神仏習合の都であったのだと深く実感させられます。
何度通っても発見があるのが奈良のすばらしいところだと思います。毎回小さな発見をして、満ち足りた気分で奈良を後にします。何度味わってもおいしい。このような場所はなかなかないのではないでしょうか。

東京都在住 K.N.様 女性

2014年3月12日水曜日

奈良の旅人エッセイ-40-

表参道の大坊珈琲店が12月で閉店された。
有名なお店で、私は気後れして二、三度しか行かなかったけれど、おいしい珈琲だった。
珈琲のような焦げ茶色の空間だった。
そういえば、ちょっと冒険して焦げ茶色の帯締と帯揚を買った日も大坊さんで一休みしたのだ。自分の色ではないと思いながら、使いこなせるかなとどきどきしながら包みを少し開けてみた。焦げ茶色の思い出だ。
嗜好品は人の暮らしの一部だから、それを味わう時間と空間がなくなるということは、通われていた方には大変な出来事だろう。
嗜好品ではないけれど、私が好きで通う奈良も無くてはならないものになっている。

正倉院展の時期に京都と奈良に行くようになってかれこれ二十年になるが、年々奈良が好きになる。年の離れた先輩が「毎年、正倉院展に行っているのよ」とおっしゃるのを聞いて、私もそのような人になりたいと憧れたのだ。
最初は京都で過ごす時間が長かった。買い物も食事も観光も、精一杯背伸びして目一杯予定を詰め込む欲張った旅だった。
それが、年々、奈良の比重が高くなり、このあいだはとうとう京都には立ち寄らなかった。
したいことを挙げたら全部奈良だったのだ。

奈良が好きということを説明するのは難しい。でもせっかくエッセイというお題をいただいたから考えてみよう。

朝、 奈良倶楽部さんを出てまずは東大寺に向かう。今日は夕方に正倉院展に行けばいいので、それまで好きにしていいのだ。講堂跡あたりをゆっくりと歩きながら、 奈良の空気に自分をなじませる。二月堂の裏参道沿いの小川は水が多い。前夜の雨のせいだろう。看板につられて流れをじっと見ていたら沢蟹がいるのがわかった。
石段はいいなあと思う。土塀も瓦屋根もいいなあと思う。
二月堂はお水取り以来のことで、前回のことを思い出しながらゆっくりお参りさせていただく。

どうしてこんなに奈良が好きなのか、奈良の何が好きなのかと思いながら、二月堂脇の階段に立ってみた。
瓦屋根、空の青と雲の白、たたなづく青垣、石段、地面、木々の緑。お堂の材や扉の色。鹿と草。はじめはそれらがかたまりでしかなかったが、ただただ立っていると、瓦の一枚一枚や石段の石ひとつひとつが見えてきた。鳥の声や人の話し声も耳に入ってきた。デジタルカメラの画素数が上がるように景色の一つ一つが鮮明に見えてきた。どれもが好ましい。それらをひっくるめて奈良の景色を愛してるんだと思った。お天気も良くて幸せだ。いつもの画素数にもどして階段を下りた。

私の奈良は何色とはひとことでは言えないけれど、二月堂から見る景色が入ることはまちがいない。のどかな広い空。気持ちのいい人々。いつも同じところを回って、また会えたねと挨拶してまわる。

正倉院展に焦がれて毎年通ううちに、奈良そのものがなくてはならないものになっていた。

奈良はおおらか。
何かが、ない。
奈良に身を置くとほっとする。
のびのびする。
何も気にならなくなる。
奈良は私に何も求めない。
ただ、奈良でいてくれる。

神社が空っぽな空間であるように、奈良にも何か空っぽさがあるように思う。
だから、ただいていい。

むかし都だった。
信仰に守られている。
その恩恵に預かっている。

京都で奈良線に乗り換えると心がほどけていくのがわかる。
宇治川を渡るとき、わくわくする。
帰る時、近鉄の車窓から朱雀門に「バイバイ、また来るね」という。

日本橋で運良く柿の葉寿司や御城之口餅が買えた時はものすごくうれしい。この飾らないおいしさこそ奈良だ。いや、もう完成されているので飾ることを必要としないのだ。

ちょっとくたびれたとき、奈良倶楽部さんのブログをのぞきに行く。
するといつもの奈良の景色があって、「ああ、いいなあ」と心が洗われる。
「また行こう、奈良」と思ってちょっと元気が出る。
ありがとう、奈良。私が行くまでまたいつもの感じで待っててほしい。

東京都在住 40代 女性

2014年3月11日火曜日

奈良の旅人エッセイ-39-

 私は奈良で生まれ、結婚するまで奈良で数十年暮らしていました。
 奈良に長年住んでいた者として、奈良観光の際に一つ提案があります。訪れる地域について、ほんの少しでも歴史背景などの予備知識を頭に入れておくと理解がぐっと深まり、旅が何倍も充実したものになることでしょう。
 
 予備知識なしでも楽しめるけれど、あれば更に楽しめるスポットとして、私は「ならまち」をおすすめします。ならまちとは、猿沢池の南部に位置する歴史的町並みが残る地域の通称で、ほぼ全域が元興寺の旧境内にあたります。今や世界遺産として知られる元興寺、飛鳥時代に飛鳥の地に建てられた法興寺が前身で、平城京遷都に伴ってこの地に移転し元興寺となりました。  
 
 ならまち散策マップを片手にならまちを歩くと、色々な歴史的風景に出会います。
 ならまちの中心に上街道と記されているのは、古代の上ツ道とよばれる道路で、奈良盆地を南北に縦貫する大和三道の一つでした。厳密に言うとこの道は、南北真っ直ぐに通ってはい ません。散策マップを見ても、「奈良町物語館」を避けるように迂回しています。その秘密は物語館に入ればわかります。ここは元興寺の金堂が建っていたところで、物語館では金堂の礎石を見物することができます。  
 
 ところで、散策マップを更によく見ると、元興寺という標示が三つあることに気づきます。
 ならまちに元興寺が三つ?はじめは意味がわからず混乱しました。調べてみたところ、室町時代の土一揆で金堂などの主要な建物が焼失し、五重塔、観音堂、極楽坊のみが焼け残ったらしいです。その後これらは、五重塔と観音堂の一郭、小塔院、極楽坊の三寺に分立することになったそうです。
 現在、世界遺産とされているのは極楽坊のことで、1977年までは元興寺極楽坊と称していました。それまでは元興寺と言えば、芝新屋町にある塔跡を指していたらしいです が、この年以降は正式に極楽坊のことを指すようになりました。    
 
 極楽坊は有名だけど、塔跡や小塔院はどこにあるのか・・散策マップを頼りに歴史の跡を辿るのもおもしろいです。
 私個人としては、極楽坊、小塔院は真言律宗、塔跡元興寺は華厳宗と、宗派が異なるのが何故なのかが気になります。前者二つは西大寺、後者は東大寺の末寺であり、それぞれの宗派を継いでいる理由かららしいですが、そもそも元は同じ寺なのに、何故別々の末寺になったのかが謎のままで す。
 ならまちを数回歩いたら何かのヒントに出逢うかもしれません。  
 
 町の隅々に歴史の流れを感じながら、疲れたら可愛いカフェでお茶して休憩・・次はどこを訪れててどこのお店に入ろうかな・・考えただけでワクワクします。
 私は次回ならまちを訪れる際は、点在するお寺を巡りたいと思っていま す。中将姫ゆかりの尼寺である誕生寺にも行ってみたいです。もちろん、それぞれのお寺についてちょっと予習をして理解を深めてから訪れたいと思っていま す。

京都府在住 I.R.様 40代 女性

2014年3月10日月曜日

奈良の旅人エッセイ-38-「奈良旅と私」

「奈良旅と私」      
               
 早寝早起きが自然に出来る奈良の旅。たくさん歩いて疲れたら、日付が変わるころにはベッドでぐっすり。そして目覚めたら美味しい朝ごはんが待っている。朝ごはんを食べながら太陽の光を浴びていると、あぁ健康的な瞬間だなぁ。そんな風にいつも思う。     
  5,6年前、小学生ぶりに友達と奈良を訪れた。その時はあいにくの雨降りだったけど、久しぶりに見る東大寺の大仏様の大きさに感動し、柱の小さな穴をぎりぎり通り抜けた自分の身体で、あの頃からかなりの月日が経ったことを痛感した。そんな旅から今まで奈良を訪れない年は無い。何が私をそんなに奈良に惹きつけるのだろう。きっかけは好きなアーティストの故郷、そんなミーハーな気持ちからだったけど、何度も訪れるうちに今では自分にとって大切な大好きな場所になった。私から伝染して、両親も奈良好きに。燈花会の季節が来る度に、大切な思い出も増えていく。                   
 誰かと一緒に奈良を旅する、もちろんそれもかけがえのない時間。でも思い起こすと、私の奈良旅は一人が多い。人の波に流されて、時間を気にしながら早足で歩く毎日。そんな生活の中で溜まっていくもやもやした毒素みたいなもの。そんなものが溜まってくると、ふとした瞬間にあぁ、奈良に行きたい。と呟いている自分がいる。黒くなりそうな心を白へと戻してくれる、私にとって奈良はそんな場所。奈良の人の優しさや、景色や空気に触れてどんどん心の毒素が抜けていく。
 一人で旅をしていると、時々少し寂しくなる瞬間もある。でも一人だからこそ生まれるお寺の方との会話が嬉しい。お寺の事、仏様の事、時には人生についてのお話もとびだしたりして、先輩のお話は心に染みる。壁にぶつかったり、心が傷ついたりした時、気持ちを切り替えて前へと進む力をもらいたい時、私の心はいつも奈良へと向かう。心のままに奈良へ行けば、変わらず迎えてくれる人がいて、大好きな景色がある。大仏様は大きな身体で大丈夫だよといつでも受け止めてくれる。何度も訪れるうちに自分のお気に入りのお寺や仏様に出会えたり。そんな場所を巡って自分の時間を急がずゆっくり過ごせば、旅が終わる頃には、背中を少し押してもらって、また頑張るかと思えている自分がいる。
充電完了!
 それでも日々の生活の中でまた充電が切れてしまいそうな時、私は奈良旅へと出発。そんな風にして奈良を訪れる度、大切な瞬間が増えていくから、私は奈良旅をもうやめられない。

東京都在住 O.A.様 30代 女性

2014年3月9日日曜日

奈良の旅人エッセイ-37-「奈良って・・・」

「奈良って・・・」

     「奈良はなぁ、神さんも仏さんもいてはんねん。
      ほんでな、そこで鹿も人も暮らしてる。
      それが 奈良やねん。」

    奈良に生まれて、そこそこの年月が経ちました。
   そこそこと云っても、1300年と流れるこの地では、あっという間のこと。
   その「わたくしのそこそこ」の間に奈良の町はというと、大きく変わった所あり、
   また、全く変わらない所あり。いろんなことが混在しています。
    さて、奈良でずっと暮らす私ですが時折、返事に困る質問を投げかけられます。
   「奈良ってどんなとこ?」
   「奈良が好きですか?」
    正直に云えば「嫌いやないけど、好きかてゆうたら好きでもない・・・」 
   「どんなとこってゆうてもなあ・・?」
    でも、そんな私も奈良をどう見てきたのか、何か伝えられることがあるのかと
   気になり始めてきたのも、寄る年波のせい?
    ほんとうは、平凡な日常に埋もれてしまっているあたりまえの中にこそ、
   自分にとっての特別な場所や、心を動かされる事、思いがあるのがわかってきました。

      ・路地を歩けば過去に引き込まれるかのような不思議な感覚
      ・春日大社へ歩く砂利の音
      ・二月堂の裏の静寂で冷たい空気
      ・お堂の闇からきこえる声明
                                
    気がつけば私はいつでもタイムスリップしています。
   そこは、情景も空気感も、幼い頃からなんら変わることがありません。
   過去と今が共振しているように。

    変わらないということは、生活する者にとれば時代に添わない不便さや
   不満をもたらします。生活や経済の発展、進歩、質の向上の為には、変わる
   力を持ち、より良い暮らしを実現させる努力と実行力が不可欠です。
    ただ、奈良は変わらないことで、有形無形の文化遺産を守り、その精神を
   つなぎ、支えてきました。そして、その「変わらない」の中には、神社仏閣が果たす
   役割と共に、「神さんも仏さんもいてはる。見守ってくれてはる。」という奈良の人々の
   心の持ちよう、感謝の気持ち。それから、神の遣いとされる鹿との共存・・。
   そんなことすべてが、連綿と受け継がれ、変わらぬ空気の中にあたりまえに存在して
   きたからこそ、奈良は奈良として在り続けているのだと思うのです。

    奈良へ来られる旅行客の中に、「戻ってくるという感じがする」「ほっとする」
   「懐かしい感じ」と云ってくださる方がおられます。
   それはきっと、奈良がその”変わらない”という大らかな部分を保ち続けているから
   かもしれません。
    いつも、どんな時も、誰にでも、静かな眼差しを向け大きな手を差し出し、生きとし
   生ける者すべての平和を願っておられる大仏さんは、そんな奈良の象徴です。

    「奈良ってどんなとこ?」 
   「奈良は神さんも仏さんもいてはって、そこで鹿も人も暮らしてんねん」
    「奈良が好きですか?」
   「好きと云うより、私にとってはかけがえのない所なんやと思う」

    悠久の歴史が流れるここは、見えないもの、聞こえないものが確かに存在します。
   そこで何を感じるかは人それぞれですが、そこには、人に内在する何かを呼び起こす
   力もあると私は思っています。奈良の空気の中にあたりまえにあるのです。
    
    ほっこりしてるけど、奥が深くミステリアス。

    結局、半世紀とちょっとぐらいの年月ではまだまだわからないことだらけ。
   奈良は魅力が尽きない所です!

 奈良県在住 I.M.様 50代 女性

2014年3月8日土曜日

奈良の旅人エッセイ-36-「わたしの奈良」

「わたしの奈良」        

 私のパソコンのお気に入りブログには 奈良倶楽部、雑賀さん,鉄田さん、かぎろいさん、エミリンさんが入っている。
 朝、小さな薬局を開くと、来客のあるまで新聞を読み、お嫁さんが毎週アップしてくれる孫たちの写真や動画を楽しみ、そのあと、ゆっくりお気に入りを読みながら気持は奈良にとんでいるのである。
 そんなに奈良が好きならソムリエ検定を受ければどうですか、と勧められたので検定のテキストを買って、お勉強を始めたけれど、段々何十年前の受験生の気分になってきた。私の本来の奈良への思いと根が異うことに気が付いた。
 私を奈良にひきつけたのは古事記、万葉集だった。古人がどういう風景の中で暮らし、政治を行い、恋を語り、闘争があったのか、少しでも肌で感じたいと思う。奈良には嬉しいことにその名残がある。
 古都ファンには京都派と奈良派があるという人がいる。私はどちらも好き。仲のいい友や同窓の友との集いは京都が選ばれることが多いし沢山の思い出もある。 観光性の違いだろうと気が付いた。 奈良は同じ興味、意識をもっている人としか楽しめない。私は今は家の中で二人っきりになった夫と奈良の楽しみを共有できて幸いだった。
 テーマをもてばどんどん奈良にはまる。そこにソムリエの方々や奈良を心底愛しているブログの方々のおかげで私はその下敷きをもって次の奈良行きを今日も計画している。


広島県在住M.K.様 女性

2014年3月7日金曜日

奈良の旅人エッセイ-35-「匂う」

「匂う」

 奈良には空気に匂いがある。
 近鉄奈良駅から地上への階段をあがるにつれ、視界には東の山並みが、そして鼻孔にはこの町独特の匂いが入ってくる。あぁまた奈良に来たんだなぁ、としみじみ感じる瞬間である。

  「ここは町方(まちかた)に融けている」と書かれたのは司馬遼太郎氏で、それは東大寺境内の西辺についてであった。転害門以外にさしたる結界のないさまを そう表現されたのだが、よく考えてみれば、奈良公園一帯はすべて「融けている」のではなかろうか。なにせ名所のほとんどが地つづきで、あいだを隔てる塀や 柵、門がほぼない。あっても役を果たしていない。どこもかしこもイケイケなのだ。東向商店街から数歩脇へそれるとそこはもう興福寺の境内で、目の前にはい きなり築数百年の伽藍が現れる。三条通はそのまま春日大社の参道へつづき、やがて春日山遊歩道となる。東大寺の南大門を二十四時間出入りできるのも、よそ 者からすると驚異である。
 ここでは、非日常と日常、自然と人間、旧と新、聖と俗……いろんなものが境なく融け合っているのだ。もっと言えば、車の走行を平然とさえぎり、人の面前で脱糞あそばす神鹿の存在など、その最たるものだろう。人間と動物のあわいさえも「融けている」。
 
 そんな奈良では、私のような旅人もおのずと「融けて」、身も心もオープンにならざるをえない。ヨロイやフンドシはどこへやら、温泉につかっているかのように心底くつろぐ。開放感にひたりつつ深々と息をつくと、身内に満ちてくるのが、この町独特の空気、匂いだ。
  枯芝の匂い。若草の匂い。樹木の匂い。日なたの匂い。土の匂い。鹿の体臭や糞臭。伽藍を支える木材の、檜や杉の匂い。古い建物にしみついた埃臭さや黴臭 さ。たちのぼる線香の薫煙。……いろんなものが融け合い渾然一体となった空気は、どんなハーブともアロマオイルともちがう、えも言われぬ匂いで、私を陶然 とさせるのである。
 一度、初夏の雨上がりに奈良入りしたおり、蒸散作用もあったのか、この「奈良の匂い」が猛烈に立ちのぼっているのに出くわしたことがある。夜更けて奈良倶楽部のベッドに入ったあとも、窓から空気が流れ込み、一晩中まるでアロマテラピー状態だった。
 書いているうちに、またぞろあの匂いが恋しくなってきた。常習性がつよいのかもしれない。私が奈良通いをやめられない所以である。

東京都在住 F.A.様 40代 男性

2014年3月6日木曜日

奈良の旅人エッセイ-34-「大和三山」

「大和三山」
                    
 「おーい、ちょっと見てごらん。お嫁さんが行くよ」小高い山を背景に一面の麦畑。穂が波を描く中、花嫁さんが一行が歩いて行く。大和棟の一軒家が見える田園風景は昭和二十六年、小津安二郎監督による映画「麦秋」の一場面。この背景となった山が我が家の近くである耳成山と知ったのは割に最近のこと。和箪笥の中に仕舞ってあったはずのビデオを探し出して見ることにした。父か母が大切にしていたものである。時間を忘れて見入ってしまった。失われて久しい懐かしい風景、言葉づかいそして風習が静かに描かれていた。
今、田畑は住宅地になり、麦畑も幻になった。遠い記憶の中にだけ実った麦が風に揺れる。
  耳成山は駅から近いうえ、一三九メートルと手軽に登れることから多くのハイカーが訪れる。私も老化防止のためと称して折々に登るが森の匂い、鳥の囀りに心まで癒される。麓の公園は春の桜、夏の緑、秋の紅葉、冬だって霜の降りた風景が美しい。池の周囲をめぐると西の彼方には大津皇子が眠る二上山。家から三十分も自転車を走らせると畝傍山登山口に着く。耳成山よりは登りにくいが山頂からの風景は見事である。以前、よく上った金剛・葛城・二上連山が目の前に広がる。今はここから見るだけになってしまったけれど。
 山頂から西側に下り、畝傍山口神社に着く。二月にはお多福とひょっとこの面をつけての「おんだ祭」が行われる。田植えの仕草が面白おかしく展開され、雀やカラスも登場して祭は盛り上がる。実家は兼業農家だったから、祭の仕草に父母を重ね、楽しんだ。
  数年前、友達と静かな冬の飛鳥と大和三山の一つである香具山へ登った。後から駈けながら「上に何かありますか」と叫ぶ声に驚いて振向き、「小さな祠が」と言いかけ、身体が固まった。息を切らしながら叫んでいるのは、確か女優、しかも有名な。でもとっさに名前が浮かばない。すると「携帯持ってますか」と聞かれる。あわてて差し出すと「桃井かおりです。今道に迷って」と話している。私は「はー、えー、あー」と意味のない声を出すのが精いっぱい。「池、神社、狛犬・・・あるところは?」後は聞き取れない。矢継ぎ早に聞かれるが、女優さんとの初対面で頭は思考停止状態となった。結局、すごいとしか言いようのない慌て方で兎のように飛んで下りて行った。
 頂上ではスタッフが探している様子。「この道を下へ」と伝えた。山を下り、村の人と話していると河瀬直美監督が映画を撮影しているのだと言う。昭和二十年代は小津監督が、平成では河瀬監督が大和三山を舞台に映画を撮る。天の香具山、天からの贈り物だっ たねと言いながら家路をたどった。大和三山は今もドラマを生み続ける。三山を散歩道にできる幸せをしみじみ思う。奈良大好き。

奈良県在住 K.T.様 60代 女性

2014年3月5日水曜日

奈良の旅人エッセイ-33-「私のお気に入りの奈良」

「私のお気に入りの奈良」

堺市に住む友人夫婦は70歳代、私たち夫婦は60歳代だ。
若いときは彼女一人でイタリア、フランスやトルコに旅行していた友人は 最近、奈良くらいの距離が体にちょうどいいと言う。
これからはご主人と一緒に「あまり欲張らずにゆっくり時間を過ごせる場所を探しているの」とおっしゃる。

2011年3月。二月堂では1260回目のお水取りがはじまっていた。
そのさなかの11日、あの東日本大震災と原発の事故が起き、日本中が沈没したかのようになった。
その次の日の夜、お松明の開始前に東大寺の北河原公敬管長がマイクで異例の呼びかけをされたという。いたたまれずにお水取りに出かけた家人が聞いて興奮して帰ってきた。
満行を迎える14日の夜、今度は二人で二月堂の下に立っていた。
北河原管長は広場を埋め尽くした人々に大震災の犠牲者に祈りをささげようと静かな口調で呼びかけられた。次に被災者のためにめいめいが何をできるか考えようとおっしゃった。最後に一人ひとりがそれぞれの場で本分をつくそうと話された。計り知れない心の傷を受けた直後、今こそ仏さまにすがりたい気持ちでいっぱいだった。
心に染み込むお言葉を居合わせた人々は素直に聞いていたと思う。
この話をしたら友人夫妻はぜひお水取りに行きたいと言い、次の年の3月5日、人出が少なそうな日を選んで初めて泊りがけでやってきた。二月堂の下、遠敷社のすぐ横で友人と私たち夫婦の四人が二時間くらいお松明が上がるのを待っていた。少し前から雨が落ちてきたけど気温は季節にしては高めだった。待っている間、寒く感じなかったのだから。雨傘がちょうど遠敷社の柵に引っ掛けられて「特等席だね。」と子供みたいに喜んではしゃいでいたのを覚えている。
午後7時、二月堂に続く登り廊の通路にはピンと張りつめた空気が漂った。
パチパチパチと一気に燃え上がった松明を童子が肩に担ぎ回廊を上っていく、その後には練行衆が続く。登り廊を上った松明が舞台へと進むと 広場を埋めた参拝者からウヮーとどよめきが湧き上がった。しかしお祭りではないのだ。 
ざわめきも一瞬にたち消え全体が祈りに包まれるように感じた。何と荘厳な時間だろう。友人たちも押し黙ったままだった。
薄暗い道を今晩の宿に向かいながら「来てよかったわ」と何度も感謝された。

昨年暮れにも一泊で奈良にお誘いした。4人で二月堂の舞台に上がってみた。空はどこまでも続いている。その日は生駒から大阪あたりまでよく見えた。澄んだ空気を吸い込んで手を合わせると心が洗われるようで清々しい。
これからの人生をどのように過ごしていこうかと考えているのか、それぞれ遠くの景色を見つめていた。全員が老後の不安も感じ始めている…。
二月堂から見る我が家は奈良市内だが京都との境にあって、歩いてちょうど10000歩の距離だ。予定のない日の午後の散歩コースとして楽しんでいる。
二月堂は祈りを通じて自分を見つめ直す場所かもしれない。今度、初めてそう思った。

奈良県在住 S.T.様 60代 女性

2014年3月4日火曜日

奈良の旅人エッセイ-32-「奈良の旅人」

「奈良の旅人」

私と奈良との出会いは、転勤(結婚)による引越しでした。22歳まで生れ育った名古屋を就職と殆ど同時に大阪へ転勤となり大阪の社員寮に住んでいました。24歳で結婚、大阪への通勤圏である奈良市の学園前に住居を借り新婚生活を始めました。
結婚してしばらく子供ができる事無く、友達もいない家内は、働きに行きたいと近鉄奈良駅の近くに勤めに出ました。職場でいろいろな情報(春日大社万灯篭、お水取りなど)を仕入れ疲れて帰宅した私を半ば強引に連れ出したのでした。またベランダから若草山の山焼きが見えたのを今でもはっきり憶えています、そんな素晴らしい所に住んでいたのだと30年経った今あらためて思っています。というのもその頃の私は今のような奈良への思い入れは無かったからです。
そんな生活を3年程過ごし家内がお産のため実家に帰っていた折名古屋本社に転勤の辞令がおり奈良に帰ってくること無く名古屋へ引越す事となった家内はさぞ困惑した事でしょう、家捜しから、引越し段取り、作業、銀行口座切り替えなど私も大変でした。
結婚30年という節目を2010年に迎えた私たちは、記念旅行をしようと言う事で意見が一致、普通だったら海外旅行とか、ちょっと贅沢な温泉旅行がいいかな と思う所ですが、家内は私たちの出発点(原点)奈良へ是非行きたいと譲りませんでした。丁度遷都1300年と重なっていたため奈良は結構な賑わいを見せていました。
その記念旅行で奈良にはまってしまったのは住んでいた時には全くと言っていいほど関心が無かった私の方でした、それからの私たち は何かと奈良へ足を運ぶようになり年に5~6度奈良旅をするようになってしまいました。歴史にも興味を持つようになり奈良に関する書物もよく読みます、奈良の歴史は日本の歴史だと思っています。仏教徒でありながら殆ど興味が無かった私ですが仏教伝来の空気を味わおうと明日香へ行ったり日本の歴史を根本から変えたと思われる大化の改新に想いをはせたり藤原家の足跡を辿ったり興味は尽きることがありません。それと個人的には平城宮跡が大好きです、と言うのは新婚当時お弁当を持って家内と二人でバトミントンなどよく遊んだ思い出があるからです、今ではあの当時とすっかり変わってしまっていますがだだっ広い所だけは変わっていません
いまでは、行き着けの飲み屋さん、喫茶店、常宿、そして奈良で知り合ったご夫婦、お気に入りの鹿。
奈良へ行っても寂しい想いはしません。むしろ名古屋より奈良の方が心落ち着くかも知れません。
人生の楽園(定年後第二の人生)というテレビ番組がありますがもし夢が叶うならば、もう一度奈良の住人になりたいと思っています、出来れば散歩の範囲内に奈良公園があれば幸せです、そして一年を通じていろいろな行事を見て行きたいと思っています。そして今度は“奈良の住人”というエッセイを書きたいと思います。

愛知県在住 U.M.様 男性

2014年3月3日月曜日

奈良の旅人エッセイ-31-「春の大和川」

「春の大和川」
               
 コープで買い物をしての帰り道、大和川沿いに車を走らせていると、 イーゼルを立てて絵を描いている初老の男性が目に入りました。一瞬知っている人のような気がしてスピードをゆるめ、それとなく顔を見ました。私は絵を描いている人を見かけると嬉しくなって、どんな絵なのか興味深々。その人の絵は大和川の土手に咲いている西洋からし菜と深緑の山、それに川でした。おだやかな春の大和川風景です。一面を黄色に染める西洋からし菜は春の風景を鮮やかに彩り、心まで浮き立たせてくれます。
 絵を描いていた初老の男性は見知らぬ人でしたが、今は亡きM先生にどこか面差しが似ている気がしました。町の文化教室で水彩画を教えていただいた方です。風景画が得意の先生でした。デッサンはおおまかでいきなり絵具を塗って仕上げていくやり方はなかなか真似ができません。
「何回も塗ったらだめだよ、色が濁るから」 が口癖でした。私はなかなか色が出せないのに、先生はまるでマジック。さっと色が決まり、水彩画のやさしい絵ができあがります。細かいことは何もおっしゃらず、自由に描かせながら的確なアドバイスをくださるので図画の時間が苦手だった私も楽しく時間を過ごしました。
 法隆寺、法起寺、法輪寺、信貴山、それに大和川や竜田川など先生といっしょに何度も写生に出かけたのでした。絵に描くと、見慣れている風景や寺院がとても新鮮で魅力的に見え、特別の存在になっていきました。
  年代も体型も違う人を、絵を描いているというだけで先生のようにどうして思ったのだろうと思わず笑いかけて、気づきました。4月は先生の命日。「たまには 思い出せよ」とのメッセージだったのかもしれません。私は今も絵を続けています。三室山の桜、平群の山並みといった生活圏からちょっと足を延ばして明日香村や奈良町など、描きたい風景がまだまだたくさんです。先生のことを時々だけど思い出しながら、奈良を描いていくのが私の一番楽しい時。今、寒い庭の片隅に咲く水仙をデッサン中。

奈良県在住 A.M.様 60代 女性


2014年3月2日日曜日

奈良の旅人エッセイ-30-

それは突然視界に飛び込んできた。 
小雨から急に横殴りになった雨脚に、慌てて雨宿りの場所をさがしていた私たちを満開の桜の大木が誘っていた。
雨に打たれた満開の桜ははらはらと花びらを落として花吹雪となり、絵のようなあまりのみごとさにみんなで一瞬見とれていた。
桜をもっと近くで見たい思いで門を入り石畳の小道を伝って行くと、突き当りには立派な石灯篭と古ぼけたお堂があった。
そこだけ時間が止まっているような、なんとも不思議な場所。
ちょうどお堂に雨宿りできる深い軒があったので、小雨になるまで待とうと言うことになった。
あらためて見渡してみると廃墟というのがピッタリなほど静かな中庭で、私たちを除けば桜の大木が妖しいまでに花をつけ存在を主張しているだけだった。
お堂近くの小ぶりの桜の枝も強い風であおられるたびにはらはらと花びらを落とし、それを雨が石畳に強く打ちつけて行く。
そんな様子をボーッと見ていると日常のわずらわしさから解き放たれた自分がいて、気持ちが落ち着いてくるのがわかった。
するとしばらくして、カメラを本格的に習っていて一眼レフを持参していた彼女があたりの景色に触発されたのだろうか、雨傘から入る横殴りの雨をものともせずシャッターを押し始めた。
あとから知ったことだが場所は奈良町の元興寺の塔跡で知る人ぞ知る桜の名所だった。
そして、その日その時間の奈良には一時的に台風なみの低気圧が通過中だったそうだ。
奈良に住み何度も奈良町には足を運んでいるが、雨と満開の桜がなかったらこの場所はずっと知らなかっただろう。
この日は「奈良町に行きたい」という大阪からの若い友人たちを案内していた。
朝からあいにくの雨ふりでほんとうなら憂うつな気分のはずだが何故だか少し違っていた。 
雨が心地良くて、とても満たされた感じがしていたのだ。
塔跡にたどり着く前には格子の家に立ち寄って奈良の古民家を堪能してもらったが、中庭の苔むした石が雨に濡れていい風情を出していた。当然カメラの彼女はシャッターを押しまくっていた。
奈良町に着く前には奈良きたまちでおいしいお昼をいただき、カメラの彼女は隣のうつわ屋さんのノスタルジックな色ガラスに見とれてカメラに収めていた。
そしてお店の人から桜は満開と教えてもらって、きたまちの桜群を雨の中で満喫した。
きたまちに行く前には、県庁の屋上に上がって奈良の眺望を楽しんでもらったが、雨に煙る山々と桜と緑の奈良公園は日本画を見ているようで素晴らしい眺めだった。
もちろん晴れた日の奈良に越したことはないが、「奈良は雨でも心地良い場所が一杯ある」とそんな確信を持てた一日だった。

奈良県在住 K.A.様 60代 女性

2014年3月1日土曜日

奈良の旅人エッセイ-29-「矢も楯も堪らず」

「矢も楯も堪らず」

新幹線と在来線を乗り継いで、大阪駅のホームに立つ。大和路快速の列車に乗り込み、ようやくほっと一息をつく。法隆寺、大和小泉と列車が進むにつれ、いつもの見慣れた風景にこころがときめく。何度訪れようと、奈良への旅はいつも新鮮である。
奈良という場所に、こころ惹かれる理由。それは、古(いにしえ)の人々が見た景色を自分も同じように見ることができるという幸せ、そして古の人々の営みが時を越え、現代の私たちの暮らしへと受け継がれていることを実感できることなのかもしれない。
1300 年前、人々はどんな思いで薬師寺東塔を見上げたのだろう。800年前、慶派の仏師たちはどんな祈りを籠めて、東大寺南大門の仁王像を完成させたのだろう。 広大な平城宮跡を、石仏と出会う山道を、古墳近くの畑道を、ゆっくり自分のペースで歩きながら古代の歴史に思いを馳せる時、自分も確かに悠久の歴史の中の ひとりだと思わせてくれる。
元気の良い時は、東大寺戒壇院の四天王像へと向かう。静謐な空間で、圧倒されそうになりながらも、怒りの像と対峙する。四天王像を見つめながら、けれど自分が本当に向き合っているのは、自分自身であるような不思議な感覚に捉われる。
反対にこころが少し弱くなっている時、優しい気持ちになりたい時は、興福寺の須菩提さまに会いにいく。微笑みを浮かべているように見える穏やかなまなざしを、少し離れた場所から見つめさせていただく。しばらくしてこころが柔らかになったと感じた後、次に両親への手土産に和菓子屋さんを訪れる。
店内に飾られている額、
『かたよらない こころ
 こだわらない こころ
 とらわれない こころ
   ひろく ひろく
 もっと ひろく・・・』
のことばと、若い店主さんの所作の美しさに、ここでも元気をもらう。
何度も何度も訪れたい場所が、奈良を旅するごとにひとつ、ひとつ増えていく。
そして同じように、新しく行きたい場所も増えていく。昨年11月に飛鳥京跡苑池の全容が判明したとの新聞記事が掲載された。天武天皇や持統天皇がこの池を眺めたのだろうか――などと思うと、訪れたい思いが加速する。
「矢も楯も堪らず、奈良に帰りたくなるのは不思議な位だ」と綴ったのは志賀直哉である。そのことばに、「わかる」と大きくうなづく自分がいる。
何度も訪れたい場所がある。新しく見てみたい景色がある。私にとって奈良は、終わりのないユートピアである。

広島県在住 A.K.様 50代 女性

2014年2月28日金曜日

奈良の旅人エッセイ-28-「秋篠寺を訪ねて」

「秋篠寺を訪ねて」

 夫と二人で奈良を旅して秋篠寺を訪ねたのは、九月の終わりの曇り空の午後でした。雨を包み込んだ雲に覆われたこの日の奈良は、しっとりとした衣を纏っているようでした。
  近鉄奈良線の大和西大寺駅で降りて、雨が降っていないことを確かめた私たちは、秋篠寺まで歩くことにしました。歩くことで、その町が持っている雰囲気や匂 いを感じ、新たな発見をするという楽しみがあります。楽しい気付きがあることを願いつつ、バス道路に沿って私達は歩き始めました。
 西大寺 駅から秋篠寺までの道程は歩きやすい道ではありません。北西に湾曲しているこの道は車の往来が多く、しかし歩道は狭い。でも、そこに点在している建物は興 味深いものでした。駅からすぐのところにある酒屋はこの地方の地酒の銘柄を入口の開き戸に貼り出してあり、それを全部読みあげることは楽しかったし、何気 なく佇んでいるケーキ屋の様子やマンションの在り方も趣深いものでした。そういった普通の町の延長線、奈良秋篠局という郵便局を北へ向かい、競輪場の標識 からさらに北へ進むと、民家の中へ入っていきます。 秋篠の里へ私達は踏み込んだのでした。もちろん、現代の里です。茅葺屋根の家があるわけではありません。しかし、それぞれの建物が千年以上 前から存在していると言われたら、そうかと納得できる匂いをこの里は持っているのでした。そんなことを思っていると、細かい雨が降り出しました。現代の里 に、この雨はよく合っています。傘をささずに歩き続けました。秋の初めの暖かい雨を受け止めながら歩いているうちに、お寺に着きました。雨に誘ってもらっ たのでした。
 門をくぐり、本堂へと向かいました。雨脚が少し強くなりましたが、やはり傘を使わずに歩きました。境内のたくさんの木々は、 秋になって、それぞれ枯れた緑色を呈し、二人を迎えてくれました。この寺は小さく美しく存在し、木々の間から何かしらの音が聞こえます。それは日本の古い 楽曲であったり、西洋のバロックであったり、時にはジャズであったりします。本堂が現れると、それまで木々に覆われていた視野が開け、自然と中へ足を踏み 入れていました。
  秋篠寺の伎芸天は有名です。初めて観る私にも美しい仏像でした。それより、二人の一致した思いは、本尊の薬師如来の存在でした。この寺の御本尊は、若いお 顔をしていらっしゃるのです。私が今まで観た日本のお寺の御本尊の多くは、どっしりと鎮座していらっしゃるのですが、秋篠寺の薬師如来は少年の面影を残 し、爽やかなのです。側面から眺めたお顔も、左右それぞれ違う趣があり素敵です。少し距離をおいて向かい合うと、薄暗い本堂の中で光を放っているようなエ ネルギーを感じます。それは、受け取る人間に希望を与えるような光でした。この日は参拝客も少なく、本堂の中で夫婦二人になることも多々ありました。三十 分ほど仏達と向かい合い、どちらからともなく本堂を後にしました。振り返って建物を見ると小さく佇み、このお寺の居住いを見るようでした。
  帰りは畑の中を通り、駅へ向かうことにしました。途中、年配の女性に道を尋ねました。知らない土地で人と接することは楽しいものです。その女性は丁寧に教 えてくださいました。この里に住まわれて幾度となく旅人に道を訊かれたのでしょう。たぶん、秋篠寺が建立された頃から、旅人はこの土地の人に尋ねながら、 寺に詣でたのではないか…と思うと、「ふふっ」と笑いたくなりました。夫も同じことを思ったのでしょう。お互いに顔を見合わせて笑いました。
 何でもない小さなことが、旅の記憶に残るものです。私にとっても、駅へ戻る途中の何ということのないこの出来事が、懐かしく思い出されます。暖かい記憶です。奈良には人の気持ちを暖かくさせる、そんな力があるのかもしれません。

愛知県在住 O.N.様 50代 女性

2014年2月27日木曜日

奈良の旅人エッセイ-27-「大人の修学旅行」

「大人の修学旅行」

私が奈良を意識するようになったのは高校の国語の教科書で堀辰雄の「浄瑠璃寺の春」を読んでから。
実際には京都にある寺であるとのちに知りましたが、私の中にのどかな奈良の印象が強く残りました。このことが奈良の大学への進学につながったのです。
入学後一番に向かったのはもちろん浄瑠璃寺でした。堀辰雄の文章の中にあったそのままがそこにありました。鶏の鳴き声も聞こえるようなのどかな風景。修学旅行で行った大きな寺とは違う寺の佇まい。のどかな情景の中にありながらきりりとした九体仏。ゆったりとした贅沢な時間を過ごしました。それからの4年間文字通り奈良を歩き回りました。なによりも日本の四季を感じられる生活を日々楽しみました。
そして30年たった今、空想する旅行は「大人の修学旅行」。添乗員となって気心の知れた友人と一緒に奈良を旅したい。普通の観光コースではなく私の歩いた奈良を一緒に歩いてほしい…コースは浄瑠璃寺から般若寺へ、そしてゴールは二月堂。私のお気に入りのコースです。
時は春分の日。奈良駅についたら一路浄瑠璃寺へ。馬酔木の花が出迎えてくれるでしょうか。ここでは彼岸についてのレクチャーを。ここは現存する貴重な浄土式庭園。まさに春分の日は東の薬師如来鎮座する三重塔から日が昇り、西の阿弥陀堂に日が沈むのです。またこの日は美しい色彩の残ったうるわしい吉祥天女像と ご対面できる日でもあります。
清々しい気分になったところで次の目的地般若寺へ。ここでは文殊菩薩がお出迎え。よく見るとやはり美しい色彩が残っています。コスモスで埋め尽くされた頃にまた来たいね、などと話をしながら寺の向かいの植村牧場へ。こんなところに牧場があることに驚いてほしい。 新鮮な牛乳やソフトクリームで一息つきます。
ここから般若寺坂を歩いて下ります。まず右奥に見えてくるのが瀟洒な煉瓦造りの奈良少年刑務所。しばらく下ると左手にはにこっと笑った夕日地蔵。その先には鎌倉時代ハンセン病患者などを収容したという北山十八間戸。さらにくだり佐保川を渡り幹線道路へ。
懐かしい下宿前を通り転害門をくぐり東大寺敷地へ。大仏殿の裏を進み私の一番好きな石畳の道を歩き二月堂に到着です。一日の終わりこの舞台から見る夕景は何よりのご褒美です。空の色の変化をゆっくりゆっくり味わいつつ思い出めぐりの旅を終わります。
学生時代の修学旅行での奈良の思い出を聞くとあまり覚えていない、という人が多く寂しく思います。いろいろな奈良を知ってほしい、好きになってほしい…「大人の修学旅行」いつか実現したいものです。

静岡県在住 O.M.様 50代 女性

2014年2月26日水曜日

奈良の旅人エッセイ-26-

 奈良県との県境の大阪の端っこに住んでいた私は 子供の頃から家族とも友人とも、そして学校の行事でも奈良公園に行き、鹿と会う機会が多かった。
  一昨年の冬 大阪の実家に帰った際、私は夫と共に奈良公園を訪れた。久しぶりに鹿に会えるのが、なんだかとても懐かしかった。お正月を少し過ぎていたが、人もそして鹿もたくさんいた。関東生まれで関東育ちの夫にとっては初めての奈良。人の多さよりも鹿の多さに驚いていた。
「鹿せんべい、 あげてみようかな?」動物好きの夫はとても嬉しそうだった。子供じゃないんだから四十過ぎたおっさんが・・・と心の中で思いつつ、まあ初めて来たから仕方ないかと 鹿せんべいを購入。するとそれを見ていた鹿たちは一斉に夫に群がってきた。前足を夫の胸の辺りにかけて餌を奪おうとするものもいた。夫にとっては初めての鹿の洗礼?だった。私は それを見てクスッと笑い、すかさず、その瞬間を写真におさめた。
 「なんなんだ、これは?」「こんなの序の口でしょう?この辺の子はね、学校の遠足とかで奈良公園に来ると 鹿にお弁当食べられちゃったりするの。これぐらいで驚いてちゃだめだって。」
結局 夫は途中で一枚一枚おせんべいをあげるのをあきらめて 残りのおせんべいを全部まとめて遠くの方に投げ 私のほうに避難してきた。
 帰ってきた夫のコートは、後ろについていた飾りのヒモがひきちぎられ ところどころ鹿の唾液でベトベトになっていた。
「やっぱり奈良公園の鹿を見ると心が和むね。」私がそういうと「遠くから見ているぶんはね。」と返事が返ってきた。
 夫に限らず 初めて奈良の鹿に会う人は少なからずこんな経験をするのではないだろうか。そしてそれは どの場所よりも、いつまでも心に残る旅の思い出になるのだ。
 案の定 休み明け 会社の同僚に奈良公園の鹿の話をしたら盛り上がったと 後日、夫は得意げに私に言った。
 やっぱり 奈良を旅する楽しさは 鹿とのふれあいであることを私は心の中で再確認するのだった。

埼玉県在住 I.A.様 40代 女性

2014年2月25日火曜日

奈良の旅人エッセイ-25-

桜井から長谷街道を東へ進むと、平安時代より長谷観音信仰でにぎわった自然豊かな地に佇む長谷寺。四季折々の自然の美しさでいにしえより私たちを魅了し、静かな風情のある知る人ぞ知る名所である。
ある晩秋の朝、長谷寺へ向かった。気温は3℃、底冷えする寒さ。
参道を進んでいくと、閉まっているお店もあるけれど、昭和の香りがする新聞屋さんや紫源氏と書かれた酒屋さんなど古風で懐かしい感じ。お酒の空き缶を使った燈籠の形をした飾り物が朝の光に当たってキラキラとまぶしくて、風が吹くとクルクル回る風情のある門前町。草餅、土産などの誘惑を横目に振り切りつつ上り坂を進んでいくと、重厚な仁王門に到着した。
冷たい指先をカイロで温めながら門をくぐると、JR東海のCMで見た長い回廊が目の前にそびえたっている。階段は急ではないが、地味に低く疲れがじんわりとくる。室生寺よりは少ない399段の階段といっても、本堂に着く頃には息切れしていた。下を眺めると緩やかだが「ずいぶん高いところまで来たんだなぁ…」。と達成感に浸る。
御朱印を3種類頂いた。書いてもらっている間、長谷寺限定キティを発見!ご本尊の十一面観音をモデルとしたもので、「珍しいけど、キティちゃんにしちゃっていいものか…。慈悲深い観音様は怒らないかも」。なんて思いながら御朱印所を後にし、本堂へ入ると神々しい十一面観音菩薩が迎えてくれた。まるで「ようこそ、いらっしゃいました」。と慈悲深いまなざしで迎えてくれるようだ。そして、大きい。本当に3日間で作り上げたとは到底思えない。右手に錫杖、左手に水瓶…。「六根清浄?」。をインスピレーションせずにはいられない。ご利益ありそう。
堂内から外を見ると、紅葉が床に映っていて、何とも言えぬ美しさである。床そのものが磨かれており、若いお坊さんたちの日々の精進の様子を垣間見ることができる。舞台へ回ると、清水寺と似た構造で全体が見渡せる。彩りも様々で、濃い紅からオレンジ色、中には緑を残した木々もあり色彩のグラデーションが美しい。息を呑んでしまうほどに。
本堂を出て五重塔を挟んで、左に紅葉、右に桜の枝が見えた。春は桜、夏は紫陽花、秋は紅葉。さすが花の御寺である。感性豊かな歌人たちが、あまりの美しさに歌に残さずにはいられなかったのだろう。そのせいか、 案内表示やパンフレットも見やすくおしゃれなものになっている。残念なことに、千年の昔から絶えることなく続く正午の法螺貝の音色を聞かずに、寺を後にし てしまったことが悔やまれる。
今も西国33箇所8番札所として全国からの参詣者は絶えない。
今もなお大和の奥座敷から、私たちを見守っていることだろう。

茨城県在住 S.N.様 20代 女性

2014年2月24日月曜日

奈良の旅人エッセイ-24-「私の奈良旅」

「私の奈良旅」

 私が初めて奈良に行ったのは、2011年です。
そのときは8才で、「奈良に行くよ」とママに言われて思いついたのは、“お寺”と“阿修羅さん”でした。奈良でお寺やお大仏様を観て、「昔の人はどうしてこんなにうまくお顔とか彫れるのかな?」と思いました。
  私は、元々旅行に行くのが好きじゃなかったけど、お寺やお大仏様が気に入ったので、「また行ってみたい!」と思いました。ママやパパも奈良が好きになったので、それから毎年、奈良に行くようになりました。私が特に好きなのは阿修羅さんです。阿修羅さんは1度、東京で観たことがあって、うまく言えないけど、 魅力を感じました。奈良でみたら、「やっぱり1番!」と思いました。去年、奈良に行ったときは、(言いにくいことだけど)東大寺や唐招提寺のお大仏様がみんなユラユラ動いて見えたので怖かったです。でも、1つだけ良かったことは、阿修羅さんが私にほほえんでくれたような気がしたことです。それでとても嬉しくなって、その日は特に楽しかったです。
 お寺と神社はなにがちがうんだろう。私は神社よりお寺のほうに興味があります。お大仏様にも一人 ひとりちがっていろんな像があります。お大仏様やお寺には作った人たちのたましいがこめられていると思います。だから本当に生きているかのように見えて人の心を動かす力があるのだと思います。お寺には不思議な力があると思います。
 私が一番気に入っている風景は、東大寺の二月堂から見る夕焼けです。ピンク、オレンジの空や雲が心をいやしてくれます。大きなぼんぼりやろうそくの光も綺麗です。
  次のお気に入りは明日香のサイクリングです。明日香でサイクリングをすると、坂をこぐのが大変で疲れるけど、東京ではみたことのないいろんな物があって、 興味がわいてきます。「どうして昔の人は古墳がお墓だったんだろう?鬼のせっちんとまないたはなんだったんだろう?」など、たくさん疑問がわいてきます。
 その次のお気に入りは奈良倶楽部のおふとんです。ふかふかで寝やすいからです。朝の食事も、嫌いなものも少しあるけど美味しいです。
 ママは今年も奈良に行くと言っているので、私も行きます。今度はどんなことがあるか楽しみです。

東京都在住 W.H.様 10歳 女性


2014年2月23日日曜日

奈良の旅人エッセイ-23-「光と闇と」

「光と闇と」

奈良に住んで 一年と9ヶ月。まだほとんど観光客気分の抜けないままの生活が続いている。それまでの東京暮らしとは 全部違う訳ではないのだけど やっぱりここは関西、そして古都。世界遺産の街で暮らすという贅沢を味わっている。
ガイドブックでは 「京都・奈良」と一緒に紹介されることが多いけど、来てみたら 「全然、違うなぁ~」と認識を改めさせられてしまった。

奈良は不便です。
新幹線は止まらないし もちろん空港も無い。同じ古都でも 京都とはその入り口からして違う。わざわざ「奈良へ行く」という意思がなければ 来られない。
そして そのちょっと不便というのが とてもいいのだと思っている。

私は JRで奈良へ帰って来るのが好き。特に大阪から帰って来る時の 奈良への近づき方が好きだ。 ある駅を過ぎるとパタッと人が少なくなり 夜だと どんどん闇が深くなる。
昼間なら 空が高く広くなって呼吸が楽になる感じがする。そう、奈良は田舎なのだ。
JR奈良駅に降りるのと 近鉄奈良駅から一歩踏み出すのとは 感想が全く違った。
やっぱり地上の駅から一歩を印すのが いいと思う。

朝。目が覚めるような まだまどろみが続くような朝。
そんな時 遠くから聞こえてくる鐘の音。
そんなに大きな音ではないので 聞き逃すことがほとんどだ。
あ、興福寺の鐘だなぁ、6時になったんだなぁ、と思いながら ゆっくりと数を数える。
でも、いくつ撞いているのか 全部を聞いたことはないと思う。また眠ってしまうか、思い切って起きてしまうか 何か考え事をしてしまって気が付いたときは終わっている。
興福寺の鐘で目が覚めるなんて なんて贅沢なんだろうか。

最初の一年間は 夢中であちらこちらと出かけ 国宝級の仏様を拝観した。いつか自分の好きな仏像に出会えるだろう。。。と思ったのだけど 今のところは まだ会えない。
それでも心に残ったいくつかの仏像はあり 何度も通ううちに自分との「相性」が分かってくるような気がしている。お寺も仏様も そして鹿も いい。

もし私が旅行代理店の係りだったら 絶対のお薦めはこれ。
「奈良には 宿泊したほうがいい。」これですね。
なぜならば 奈良の一番いい時間は 朝と夜だから。
ほとんどの人は奈良に泊まらない。午前中に来て 大急ぎで観光し 夕方にはもう奈良を去ってしまう。ほんとうにもったいないと思う。
朝のお掃除したての奈良公園を歩いてみて欲しいと思う。
春日大社の参道を独り占めして本殿まで歩いてみて欲しいと思う。
あの清々しさは 普段の生活ではなかなか味わえない。
何も考えず空っぽのこころにして歩いてみよう。
起き出した鹿も 歓迎してくれるはず。

そして夜。 奈良の夜は思ったより暗く 闇が深い。でも怖くはない。
東大寺の上院、一番奥で鎮まっている二月堂の舞台へと歩いてみて欲しいと思う。
途中、猫段を上って 鐘楼には8時に着くようにしよう。
一日に一度だけ撞かれる古の鐘の音に耳を傾けてみよう。
数百年の時空を超えて響いてくる鐘の音は 何度聞いてもいいものだ。

最後の余韻を味わったら二月堂の舞台へ向かってみよう。
いや、逆でもいい、舞台からの石段を下りてきて鐘を撞き始めるころ鐘楼に着くのもいいと思う。
何といっても 東大寺は一部の拝観場所を除いて 一晩中開いているのだから。

今の私の夢は 夏の一晩を二月堂の舞台で過ごしてみること。
夕焼けが終わり やがて満天の星空か 三日月の頃 奈良の街が漆黒の闇に鎮まってゆくのを見ながら 一晩を過ごす。 きっとうたた寝もするだろう。
朝のお勤めのお経で目が覚めるかもしれない。 二月堂は東側を背にしてるので 朝日は
見られないと思うけど 山際から昇って来た日が瓦の屋根を刻々と照らしてゆくだろう。
大仏殿の紫尾もますます金色に輝いてくれるに違いない。
問題があるとすれば 見回りの警備の人に怪しまれないかということ。
時々 歩き回った方がいいだろうか。

そうなのだ。奈良へ泊まるというハードルを越えさえすれば、そこからはそれぞれの奈良の時を紡いで行ける。
友人たちにも せっせと伝えている。
「奈良に来たら 泊まってね!」
ただし、我が家には空いてる部屋が無いので 自前でお願いしている。
去年は 3人来てくれた。今年はどうなるだろうか。
おみくじでは 「待ち人 音信なく来る」とのことなので、突然の来訪を楽しみに待つことにしよう。


2014年2月22日土曜日

奈良の旅人エッセイ-22-「大仏への道」

「大仏への道」

名古屋駅発6:32分 亀山行
名古屋から奈良に行くルートは幾通りもありますが、関西本線で行く各駅停車の旅は、奈良の大仏さんのありがたさをひしひしと感じることができるルートではないでしょうか。冬の青春18切符の旅、名古屋駅のホームは日の出前、大仏への道はここから始まります。
亀山駅で加茂行の2両編成のディーゼルに乗り換え、山を越え、トンネルを抜けるうちに、時代をタイムスリップ、朝もやの中、静かに次の京をめざす聖武天皇の 遷都行列がぼんやりと見えてきます。743年、聖武天皇は紫香楽宮で大仏造立の詔を発布。大仏さんは紫香楽宮の近くにある甲賀寺で造立が始まりますが、火事が相次ぎ、奈良東大寺へ移ることになります。なんとしても大仏を完成させなければ、この国の民を救うことはできない、加茂駅で大阪行に乗り換えるときには、もう聖武天皇になりきっています。
9:59分、奈良駅着
三条通を歩いて近鉄奈良駅前の行基広場へ。行基さんに「大仏のこと頼んだぞ」と声をかけ、東大寺をめざします。やっと会えました。752年、大仏開眼供養が行われます。大仏殿で見上げる大仏さん、感無量です。大仏への道はたったの3時間半ですが、聖武天皇の苦難の道のりをしばしともにしたおかげで、大仏を前にすると、なぜこんなに大きな仏像を造らなければならなかったのかという理由がちょっとだけ見えてきたりします。奈良の大仏さんは、奈良に入る前、遷都ふらふら行列からアプローチするとまた違った大仏さんが楽しめると思います。

愛知県在住 Y.S.様 50代 女性

2014年2月21日金曜日

奈良の旅人エッセイ-21-「奈良へ行く旅、帰る旅 ~唐招提寺にて~」

「奈良へ行く旅、帰る旅 ~唐招提寺にて~」
 
 私の記憶にある最も古い奈良旅の思い出は、国鉄の急行「かすが」号に乗って、家族で大仏さんを見に行ったことである。以来、幾度となく訪れる奈良は、行くところであり、帰るところでもあるような気がする。
  大仏さんを見に行った頃、『奈良のだいぶつ』という子ども向けの歴史の本を買ってもらった。そこには、大仏建立をはじめ、和気清麻呂が宇佐八幡宮の神託を 聞きに行く話や、阿倍仲麻呂が帰ることのない故郷を思いつつ「天の原ふりさけ見れば春日なる…」の歌を詠んだ話などが紹介されていた。
 中でも、繰り返し読んだのが、鑑真和上の渡航の話であった。何度も失敗し、危険な目に遭い、病に伏す和上を案じる弟子の普照に対し、優しくねぎらいの言葉をかける和上。過酷な状況にも関わらず、そこに流れる温かい空気に、おじいさんと一緒にいたら、それだけで安心できるような、そんな不思議な心地よさを感じていた。和上の優しさにふれたくて、このページを開いていたのかもしれないと思う。
 私が一番好きな奈良は唐招提寺。何かに行き詰まった時、寂しい気持ちになった時、ふと訪れたくなる場所だ。エンタシスの太い柱の美しさも、御廟の静けさも、戒壇跡のピーンと張り詰めた雰囲気も、ご本尊さまのどことなくのんびりしたお顔も、季節ごとに咲く花も、その全てが大好きだけれど、何よりも、「胎内」という言葉を連想させる、あの深い森につつまれていると、和上と普照のやりとりが思い起こされ、温かいものが自分の中に満ちてくるような気がする。そして、この森を出たら、もう一度生まれ変われるんじゃないか、頑張れるんじゃないかと思えるのである。あの森に、また帰りたくなって、私は奈良を訪れるのだろう。
 先日、和上が渡航を決意したとき、既に54歳になっていたことに初めて気付いた。職歴も地位もあっただろう。長年かかって積み上げてきた生活習慣や人間関係の重みも感じていただろう。 その年齢に達するまで、あと数年ある私でさえ、失うものの数を数え、今の自分にとらわれ、変わることを恐れてしまうのに、和上は渡航を決めた。全てを捨て、危険を冒してまで、遠い他国に行こうとする意志の強さ。新たなものに向かおうとする柔軟な心。和上を駆り立てたのは、信じるものに対する責任感であり、自分の決意に対する信頼でもあったのではないかと思う。しかし、まだ明確な答えは見つからない。
 その答えを探しに、私は、これからも唐招提寺を訪ねるだろう。近年では、和上の故郷の花「瓊花」の公開もあり、その白さ、可憐さの中で、和尚の心に思いを馳せ、問いかけることができる。「あなたはどうして、そんなに優しいのですか?」「そんなに強いのですか?」「とらわれないのですか?」「私も、いつか、あなたのようになれるでしょうか?」
 私にとっての奈良旅は、行く旅でもあり、自分に帰る旅でもあるのだと思う。

三重県在住 Y.K.様 40代 女性
 

2014年2月20日木曜日

奈良の旅人エッセイ-20-「歌うたいの彼をたどる奈良旅」

「歌うたいの彼をたどる奈良旅」

琵琶湖を左手に眺めながらウトウトしていると京都駅のアナウンス。
慌てて降りたら改札を左に曲がり、近鉄電車乗り場へ直行。駅構内のコーヒーショップへ。特急電車のホームに近いここでコーヒーを待ちながら、発車メロディを聴くところから私の奈良旅が始まる。
そのまま特急に乗り込んでも良いけれど、今日は向う側の急行ホームへ。
歌うたいな彼の縁結で知り合った、旅の相方の住む街は特急電車は停まらないから。
途中駅から乗り込んできた相方との再会を喜びながら、まず向かう先は西ノ京 薬師寺。空模様を気にしながら東塔の前で聴いた彼の歌声は今でも忘れられない。
そのままてくてくと北へ歩いて唐招提寺へ。ここで大好きな千手観音様とご対面。わらわらと差し出される手を見ていると時間がたつのを忘れてしまいそうになるけれど、もう少し頑張って たまうさぎ本店まで。できたてのお団子とお茶で一服したら尼ヶ辻から近鉄奈良駅へ。
ならまちへ向かいお昼ごはんの予約を済ませてから、ここだけは外せない春鹿にて利き酒。
日本酒ダメだった私が飲めるようになったのは春鹿さんのおかげ。
店員さんとの会話も楽しく、そして彼の話題にも一緒に盛り上がってくれる。
試食の奈良漬に手が止まらず、〆に甘いときめきを頂く頃にはすっかりいい気分で相方とならまちをぶらぶら散策。我が家の常備薬 陀羅尼助を購入したら、そろそろランチが良い頃合い。過去に彼が立ち寄っていなくても確実に人気店なカナカナ。案内された席が偶然彼の座った席だったら ラッキー!優しい味のカナカナごはんを頂きながらお互いの近況や彼の話、居心地の良さも相まって時間はいくらあっても足りない。
途中 彼が大好物というケーキを食べたかったけれど、手作りのお店ゆえ今日は売り切れ、また今度のお楽しみ。もちいどの商店街、角のコロッケ屋さんの香りに誘われつつ近鉄奈良へ戻り、西大寺へ。桜の木の成長に月日を感じながらお参り。ご朱印帳に挟まれた「縁を結いて」の文字が温かい。
そして最後は平城京跡まで。空の広さや夕焼けの美しさを改めて教えられた場所。
西大寺駅へ戻り、年上のお兄様方に挟まれながら出発5分前まで立ち吞み処で別れを惜しむ。待ち望む彼の歌声を聴ける、その日が次の再会の日。
電車が動き出し姿が見えなくなるまで手を振って、ひとりになっても不思議と寂しさは感じないけれど、京都駅で最後にもう一度 発車メロディを聴くと時々ポロッとなる。飲みすぎでしょうか。
我が家には春鹿さんの利き酒グラスが10数個。今年はいくつ増えるかな。

福井県在住 I.K.様 40代 女性

2014年2月19日水曜日

奈良の旅人エッセイ-19-「私のきっかけ、奈良の旅」

「私のきっかけ、奈良の旅」
            
 始まりは一冊の本だった。奈良へ旅することになったきっかけは『はじめ まして奈良』、本屋でこの本に出逢ったからだ。旅行の棚ではなくインテリア・雑貨の棚に何気なく置かれていたこの本、実は奈良でも人気のカフェ『カナカ ナ』を営むオーナーの井岡さんと、ライターである小我野さんのお二人がつくった、奈良への思い入れたっぷりの本だった。
 そんなことはつゆ知らず、私は紹介されているおみやげやカフェにすっかり魅せられた。『パルロワ』のランチにうっとりし、『奈良ホテル』のクッキーに憧れ、百毫寺の五色椿の美しさにため息が出た。この本をめくりながら「ここに行く」と決めていた。
  それからはあっという間の旅支度で、2年前の4月下旬、仕事帰りの金曜日の夜、主人と共に空路で奈良へ旅立った。夜分遅くに到着した近鉄奈良駅周辺は静かでしっとりとしていた。ホテルはネットで見つけた『小さなホテル奈良倶楽部』。東大寺まで歩いて行けるのが魅力で決めたけど、ここで大正解だった。こじんまりと丁寧に整えられたお部屋、美味しい朝食、何よりも“奈良のコンシェルジェ”と呼びたいオーナー谷さんの心配り、豊富な知識に旅先で一気に心が緩んだ。
 翌日は朝から雨。法隆寺や憧れのカフェ『パルロワ』へ行き、唐招提寺をめぐるころにはドシャ降りに変わった。ずぶ濡れでお参りしたが、雨と霧に包まれた唐招提寺の美しいこと、この上なし。心から安らぎに満たされ、感謝の気持ちでいっぱいになり、有難いお参りができた。
 実はこの旅より少し前、主人の母が眠るように急逝した。突然の母の死に主人も相当ショックを受けていたのだけど、この雨で鑑真和尚も一緒に涙を流し、心を洗い清めてくださったように思えたのだった。
 翌日曜日の朝は快晴。朝食前に東大寺二月堂へ散歩がてら参拝する。この散歩道、そして二月堂の気持ちのよいこと、夫婦そろって言葉にならない幸せに満たされる。散歩しながら、もうここに住みたいというくらいに奈良が好きになっていた。
 この旅行後も何度か奈良へ足を運ぶことになるが、いったい奈良のどこが好きなんだろう。ホテルへ向かうバス「青山住宅行き」を待つとき。地元のおじさんに道を尋ねられたとき。地元の人の気分になれる瞬間は最高の喜び!である。地図を食べられても心許せる鹿たち。大通りから一歩入った何気ない路地に漂う人の温もり。いや、もうたくさん、見つけてしまった。煙たがられても語りたい奈良のよさ。
 声高に言わないけど自分の住む町を愛し、旅人を心広く受け入れる奈良の人が大好きだ。どんな人にも奈良に通じる扉がある。いつでも開く扉。私は本がきっかけで扉が開いたけど、みんなは何がきっかけだろう?そんな話で盛り上がってみたい。すべての人につながっている奈良に心から感謝!

宮崎県在住 H.M.様 40代 女性

2014年2月18日火曜日

奈良の旅人エッセイ-18-「山里の四季、息づく伝統文化」

「山里の四季、息づく伝統文化」

 室生国際交流村の一員として、外国の大学生や高校生をホストファミリーとして 受け入れて6年になる。ノールウエー、オランダ、スペイン、アフガニスタン、インドネシア、タイ、マレーシア、シンガポール、ラオス、中国、台湾、カナダ などヨーロッパからアジア、アメリカ大陸まで民族・宗教・政治体制・言語とも多岐にわたる。また、滞在期間も1週間以上の長いものから、たった1泊というものもある。
 せっかく外国から来たのだから、奈良のよさ・滞在する楽しさ・旅する楽しさをどう伝えるか、ホームスティした学生たちと過ごしたなかから考えてみる。
 アフガニスタンの大学生が泊まった時のこと、朝起きて外の景色を見た第一声が、「美しい。」であった。「何が美しいの?」とたずねると、「田んぼと山と家のバランスがいい」という。奈良田原の山道を車で走っていると、盛んに景色をカメラに収めている。茶畑が気に入ったらしい。平城宮跡で大極殿を見学した時 も、その裏にある池が美しいという。私にとっては見慣れたありふれた景色なのに、感嘆の声を上げるのには戸惑ってしまった。
 スペインとオランダの大学生は地元の伝統文化に興味を持っていたので、吉野町国栖で宇陀紙の紙漉きを、宇陀市下笠間では、江戸時代から続く紺屋で藍染体験をした。いずれも伝統工芸士の手ほどきでお気に入りの作品ができ大喜びで、藍染のハンカチを首に巻きご満悦であった。
 タイから来た女学生は、大型ショッピングセンターに行くと、日本の化粧品が肌に合うとかで自分のものだけでなく大学の教授のお土産用に大量に買い込むのには驚いた。また、真っ黒な法被を買って店内を闊歩し、人目を引くのを楽しんでいた。
 カナダの大学生とは、地元にある常設の大衆演劇場で、旅回り一座の芝居を鑑賞した。言葉はわからないのだが、歌あり、踊りあり、立ち回りありとその雰囲気を楽しんでいた。ベリーダンスが得意な彼女にとっては、言葉の壁は気にならなかったのだろう。
 ガイドブックにある名所旧跡や観光地もよいが、日本人にとってはありふれた山里の四季の風景や奈良の風土に根差した伝統文化、日常の暮らしに触れることも、外国人にとっては旅する楽しみなのだとつくづく思う。

奈良県在住 M.M.様 70代 男性


2014年2月17日月曜日

奈良の旅人エッセイ-17-「私の奈良一人旅」

「私の奈良一人旅」

奈良が好きになり奈良に通うようになって約三年になります。
きっかけは、友人に誘われて唐招提寺に行き、そこで数々の感動を覚えたことです。 
私は旅行が大好きで、友人と一緒にこれまで各地の寺社仏閣に赴き、様々な仏像を拝観してきました。しかし、初めてその南大門の前に立ったときに感じたのは言葉では表わすことができない厳かな空気。そして初めて来たにもかかわらず、何故か「懐かしい」という気持ち。盧舎那仏様、薬師如来様、千手観音様を観た時には「やっと逢えた」とさえ思ったのです。
それは今尚、不思議に思うことの一つです。
それからというもの、インターネットで奈良について調べる日々が続き「奈良倶楽部」のページに出会いました。それを見るうちに私の奈良熱はどんどんヒートアップし、「もっと奈良を知りたい」「奈良へ行きたい」という気持ちが抑えられなくなってしまったのです。そして「小さなホテル奈良倶楽部」にお世話になってからというもの、私はますます奈良に魅了され、今では毎月のように奈良へ通っています。寂しがりで怖がりの私が一人旅を始めるなどとは、主人や子ども達は考えもしなかったそうです。
大阪市内から奈良へは日帰りでも充分な距離ですが、私はいつも一泊から二泊の予定を組みます。それは行く場所によって宿泊先も変わり、それぞれ違った奈良の良さを味わえるからです。そして奈良倶楽部では訪れるたびに奈良の魅力を教えていただき、たくさんの素敵な繋がりができました。
また早朝の散歩をすることも大きな楽しみの一つです。
大仏殿講堂跡に向けての坂道が私の最大のパワースポットで、この坂道を歩く時には「今、生きている最高の幸せ」を感じることができます。
そこから大仏殿までの道、生い茂る木々や、見上げる空が私の心を癒してくれます。
大阪で暮しているとついつい目の前のことに手一杯で、頭上に空が広がっている事を忘れてしまいます。
奈良は、そんな当たり前のことに気付かせてくれます。
大仏殿に朝一番に入ることも楽しみの一つです。綺麗に整えられた香炉にお線香をたて、誰ひとり歩いていない参道を歩き、静かに大仏様に手を合わせます。
この大仏様が建てられた時、人々はどんな気持ちで手を合わせたのでしょうか
そんなことに想いを馳せながら、先人達への感謝の想いで胸が一杯になるのです。
奈良を旅するようになり、色々な面で私自身が変わってきたように思います。
これまで日本の歴史について特に深く考えることなく過ごしてきました。
古典芸能についても同様で、お祭りに至っては人ごみが苦手な私には全く興味のないものでした。しかし、奈良に惹かれていくうちに歴史や古典芸能についてもっと勉強したくなり、お祭りごとの行事には日を選んでまで行くようになりました。
家族に対しても、母親・妻・嫁という立場からだけでなく、一人ひとりに対して改めて愛おしさを感じるようになり、彼らに感謝すると同時に、自分に出来る精一杯の幸せを与えていきたいと思うようになりました。
人生の折り返し時点をずいぶん過ぎてしまいましたが、まだまだやりたい事や挑戦したい事が増え続けているのは「奈良ひとり旅」をしてきたお陰です。
たくさんの大切なことに気付かせてくれた大仏様を始め、阿弥陀様、観音様、縁あって繋がることができた素敵な仲間たちに心から感謝しています。
そしてこれからも末長く「奈良一人旅」を続けて行くことができるように、一日一日を大事に過ごしていきたいと思います。

大阪府在住 M.Y.様 50代 女性

2014年2月16日日曜日

奈良の旅人エッセイ-16-「真秀ろば の 空」

「真秀ろば の 空」


奈良市は奈良県の北の端なので、お隣の天理市、その向こうの桜井市なんかに行こうと思うと、県内を南に向けて走ることになる。
車の助手席側の窓から左手に山を見ながら、ずんずん走る。
国道24号線(奈良バイパス)も悪くはないけれど、できたらその東側、より山際を走る国道169号線を選ぶといい。
奈良市街を抜けるころには両側に畑や田んぼ、ビニールハウスが増え、段々とのどかさが増していく。
高い建物もほとんどなく、直線で続く道からは 空がよく見える。
雲一つない日より、雲が浮かんでいるほうがよりいい。
いろんな形の雲が流れていく。雲の影が山に映る。
時折 雲間から光がさし、「あ、天使のはしご!」と思わず しばし見とれる。
前方の雲が厚く暗く、あのあたりだけ雨が降ってるかな、と近づくにつれ まるで雨のカーテンのようにくっきり見えることさえある。
盆地ならではなんやろうか?
空がとっても近く感じられる。

三輪山から奈良の春日山を結ぶ「山の辺の道」からも 飛鳥、藤原京から平城京を結ぶ「上ツ道・中ツ道・下ツ道」からも 見上げれば、見渡す限りの空が眺められたことでしょう。
1300年、いえもっと古代より、天皇も貴人も渡来人も役人も平民も歩いて、あるいは馬や牛や乗り物に揺られながら きっと見上げたであろう 奈良の空。
      
倭は 国のまほろば たたなづく 青垣
山隠れる 倭し うるはし                      
     倭建命    古事記歌謡 31

奈良県在住 M.Y.様 

2014年2月15日土曜日

奈良の旅人エッセイ-15-

 30年近く前に奈良を旅した際、「頭塔」にふらりと立ち寄ったのが始まりです。
「ズトー」という怪しげな響きと、街なかに忽然と出現するこんもりとした古塚の風情に惹かれて何も知らずに見学。当時はまだ発掘復元前だったので、周囲の小道に石仏が転がっているだけの地味~な史跡でした。が、通りかかった小学生が、「殺された偉い人の首が、空からビューンと飛んできてここに落ちたんだよ。」と、つい最近起きた大事件のような口ぶりで、熱心に解説してくれたのが忘れられません。以来「頭塔」は私の頭の隅にこびり付いた小さなハテナマークに…。

 数年前に突如、奈良時代の歴史の面白さに目覚め、片っぱしから本を読みあさっていた時、偶然「頭塔」の正体を知りました。なに~っ!あの玄昉の首塚だって! 吉備真備や報恩大師にすごく関心があるので、玄昉はお馴染の人物です。遣唐留学僧として五千巻ものお経を持ち帰り、聖武天皇の宮廷で権勢をふるったという高僧ですね。もちろん首塚説は伝説に過ぎず本当は仏塔だということは理解していますが、それでも堪らず奈良に駆けつけ、20余年ぶりに頭塔と感激の対面を果たしました。

 さて、藤原広嗣の怨霊によってバラバラに引き裂かれたという玄昉の遺体は、頭が頭塔に落ちた他にも、奈良の各所に降ったと伝えられ、それにちなんだ地名が残っているそうです。なんだ地名だけか、と思っていたら、今も塚が現存しているとか。わずかな情報を手掛かりに現地を確かめてみることにしました。

 まずは、胴を葬ったという胴塚弁財天へ。『奈良きたまち』HPにちらりと出ている情報ですが、水門町というだけで、具体的な場所は分からず…。きたまちのことなら「フルコト」新井さんだな、と思い、お店で尋ねると、すぐに調べてくれました。東大寺戒壇院の南、喫茶「しろあむ」の近くと分かり直行。ありました! 今は弁天さまが祀られていますが、何らかの霊異の地と認識され続けてきたのでしょうか。

 次は、眉と目を葬った という塚がある大豆山町(まめやまちょう)の崇徳寺へ。奈良女子大のすぐ南側です。眉・目がなまって「まめ」だそう。こじつけっぽいですけど。このお寺は 観光寺ではないので、いつ行っても門が閉まっています。これまた新井さん情報で、脇の駐車場の通用門が開いているはずとのこと。ここから境内に入り、庫裏 に声をかけると、ご住職の奥様が丁寧に案内してくれました。本堂裏の小庭園にある、低い築山がその塚の痕跡だそうです。

 もうひとつは、ならまちを抜けた先、京終駅にも近い肘塚町(かいのづかちょう)。ここにある椚(くぬぎ)大明神の祠が肘(かいな)塚(づか)の跡だとも言い伝えられている、と増尾正子さんの著書『奈良の昔話3』に出ています。上ツ道を南下していくと、赤い鳥居と垣に囲まれた小祠を発見! 弘法大師の杖が育ったというクヌギの木も健在でした。

 やった~!これで奈良の玄昉バラバラ事件現場全踏破! ホラーな伝説の主にされて気の毒な玄昉さんですが、法相宗の重要な学僧として敬われている優秀なお坊さんでもあります。安らかな眠りをお祈りしました。

岡山県在住 H.S.様 50代 女性

2014年2月14日金曜日

奈良の旅人エッセイ-14-「奈良を旅して」

「奈良を旅して」
               
「いつかは正倉院展を観てみたいと」その思いがようやくかなった昨年の秋の奈良旅でした。 
メインテーマの正倉院展はもちろん素晴らしいものでしたが、一番の思い出と聞かれると、「正倉院展の帰りに歩いた夜の奈良公園」なのです。 
人影は無く、街灯も少なく闇夜の中を歩くのは怖さもありましたが、夫と歩いている安心感からか凛とした空気が心地よいものでした。 途中出会った公園警備の方から「鹿は大丈夫だけど、猪に追いかけられないように気を付けて」と声をかけられて周りを見ると昼間と変わらず鹿たちがそこにいるのに気が付きました。  夜はてっきり若草山の人目のないところで過ごすものと思っていましたが、奈良の鹿たちにとってこの公園はそのまま寝床でもあるのですね。夜の奈良公園は充分、人目がない場所なのでしょう。そんな夜の時間を邪魔しないように、そーっと歩く私たちに気づいているのかいないのか、時々聞こえる鹿の鳴き声がまるで、まほろばの国への呼び鈴のようにも思われたのでした。 
ほんの15分ほどの出来事が千年前へタイムスリップしたことなのかもしれないと思うほどでした。
町中に鹿が歩いている光景は、奈良に住む人にとっては日常なのかもしれませんが、旅人にはとても鮮烈な出来事でした。
旅で神社仏閣、名所旧跡を訪ねることももちろん楽しいものですが、「夜の奈良公園を歩く」そんなささやかなことが、この旅のとっておきの思い出になりました。 
奈良は特別なプランがなくてもぶらり出かけるだけで、きっと楽しい、そんな場所だと思う旅でした。
そしてもうひとつ、この旅を終えて感じたのは、奈良は「邂逅(かいこう)」の場所なのかもしれないと。
ずーっと思っていて、その思っていたことが薄らいできたころに思いがけず出会う場所やモノやこと。巡り合いを求めて、その思いを今は小さく折りたたんで。いつか開くときがまた来るように。
そんな奈良に、またいつか旅をしたいと思っています。

神奈川県在住 K.K.様 50代 女性





2014年2月13日木曜日

奈良の旅人エッセイ-13-「奈良を旅する楽しさ」

「奈良を旅する楽しさ」

終日歩き回った心地よい疲労感を抱えた身体には、多めに砂糖を溶かした紅茶がしみじみ優しい。小ぢんまりとしたホテルの一室で紅茶を味わいつつ、人生半ばにして初の一人旅初日となった今日一日を振り返る。

夜明け前の京都駅から奈良線に乗って奈良駅経由で法隆寺駅に到着したのは8時過ぎ。
今回の旅いちばんの目的である法隆寺に向けての足取りは軽く、気づけば目の前に南大門が構えていた。水色の空に映える瓦屋根の美しさにしばし釘付けになり、人影のないのをいいことに、大きく手を広げて何度か深呼吸をする。
3月下旬、桜が咲き始める頃特有の潤みを帯びた空気とともに、脈々と続いてきた名刹のエネルギーが体内に流れ込んでくるように感じられ、気分が高揚したのだろう。ふと、この土地は私を受け入れてくれたのではないかという思いあがった考えが過ぎった。
南大門をくぐると自然と背筋が伸びる。いつになく敬虔な気持ちで閑寂な伽藍を仰ぎ見、仏像ひとつひとつに心のなかで手を合わせながら境内を回っていると、たまりにたまった日頃の穢れが少しずつ落とされ、心身ともに軽くなっていく気がする。近くで「C’est si bon」を繰り返す明るい声がして思わず微笑んだ。
その後は散策を楽しみながら、中宮寺、法輪寺、法起寺、慈光院と訪ね、大和小泉駅から奈良駅に戻り、預けていた荷物を手にして東大寺近くにあるホテルに到着したのは夕方。
チェックインの際、オーナーに夕食処の相談をしたところ、併せて拝観時間外でも楽しめる東大寺情報を頂き、荷を解くなりさっそく東大寺へ。
間近にあるのをどこか不思議に思いながら正倉院脇の道を行けば、そこかしこに神様の使いの悠然たる姿があり、咲き始めたばかりの桜の花を食む者もいて、絵画の中の世界のような光景にさらに現実感が遠のく。
ぼんやりと鹿を眺めながら歩いていると、向かい側からやってくる壮年男性二人連れの会話が耳に入ってきた。昨今のお笑い界を憂いているようだ。なぜかその瞬間、奈良に居るのだという実感が湧いて、喜びとなって身体を満たした。
そして、二月堂に続く石畳の小道の美しさ、二月堂からの眺望の素晴らしさ、暮れなずむ空を背景にした大仏殿のシルエットと、感嘆の連続に、再び思いあがるのだった。
一人旅を思いついてから二月と経っていないのに、今ここでくつろいでいることが嬉しくてたまらない。
オーナーの奨めで、明日は早朝の東大寺を散策することに決めた。朝の清澄な空気に包まれた二月堂はどんなだろうなどと想像してみるだけで頬が緩んでしまう。
夕飯を食べた店で教えて頂いた枝垂桜が美しいという氷室神社にも行ってみよう。
懐深い奈良は、明日もきっと、私を思いあがらせてくれるに違いない。

神奈川県在住 T.M.様 40代 女性

2014年2月12日水曜日

奈良の旅人エッセイ-12-

奈良旅を「帰省」と呼び始めてどのくらいだろう?
奈良から現実の生活に戻って1か月もすると、奈良に飛んで(実際には新幹線)行きたくてたまらなくなる禁断症状がでるようになってどのくらいだろう?
今や奈良への帰省は生活の一部、現実の世界でバランスをとるためになくてはならないものになっている。奈良関連の書籍を買いあさり、奈良に関するテレビ番組を毎週検索、ブログなどのチェックは毎日の癒しの時間。そうやって現実の生活をなんとか凌いでいると言ってもいい。
日々 耐え忍んで奈良に到着し、奈良の空を見上げた時、心から開放された気持ちになる。東大寺の講堂跡から大仏殿を見上げたとき、若草山から奈良盆地を見渡したとき、平城宮跡に立ったとき、甘樫の丘から明日香の里、藤原京を眺めたときどうしようもないくらいに心が揺さぶられるのは何故だろう?
この感覚は、間違いなく前世はあの時代に生きていたと思わざるを得ない。
日本という国の礎ができようとしたあの時代、遷都を繰り返し混沌としていたあの時代に遷都の度に借り出された人夫として…?。
1年半前 勤続○周年のご褒美休暇をとることになったとき、周囲に「仕事探してくる」と言い残し奈良に向かった。いつもはなかなか足を伸ばせない地域にようやくたどり着いたとき、私が知っている奈良とはまた違う奈良がそこにはあった。ご褒美休暇を終えるとき「まだ住む場所が決められない」ことに気づいた。奈良でなくてもいいのでは?とも言われてしまいそうだが、間違いなく奈良なのです。
あの時代から守り伝えられてきたお寺、仏像、儀式その全てに感謝。そして守り伝えてきてくれた人々、次の時代に伝えようとしてくれている人々全てに感謝。
いつか自分もその中の一人として何かを担える日がくるだろうか?奈良にお返しできる日がくるだろうか?その方法を探すことが帰省の目的なのかもしれない。その日が来るまでもうしばらく「帰省」を続けよう。

福岡県在住 K.Y.様 女性

2014年2月11日火曜日

奈良の旅人エッセイ-11-「お水取りへ…終われない旅」

「お水取りへ…終われない旅」

 「来年こそ、お水取りに行く!」数年前の暮れ、街を歩いていてふっと湧いた思い。そして瞬時に決心し、友人を誘っていた…結婚して35年、初めて家族に相談も無く決めてしまった自分だけの旅行だった。
『奈良に春を告げるお水取り』それは、わたしの誕生日の夜にお決まりのニュースだった。「いつか、一度でいいから行きたい」と願っていた。迷いのなかに居た若い頃も、家を空けることなど考えられない子育ての期間にも、思いを馳せては胸ときめかせてきた。
翌年3月、わたしは還暦を奈良のホテルで迎えた。爽やかとはいえない目覚め、前夜初めて体感したお松明と声明が、夢うつつに心を騒がせていたのだ。意志をもったような火の粉と幾重にもうねる渦のような祈りの聲…それは、自分の中に収まりきれないほど大きく不可解なものだった。でも「これが最初で最後のお水取り」そう思い定めて、積年の望みであったお水取りへの旅は終わった。
なのに、わたしはそれから毎年のようにひとりで奈良に通っている。行く度に出合いに恵まれ、古都の今昔を覗き、そして届かない何かに心を残す。とりわけお水取りにつながる巡り合いが重なり、その深さに惹かれて一生一度では済まされない旅になっている。
1300 年祭の奈良を訪れた時の宿で、廊下の天井にお松明に用いられたという竹を見つけた。少しの知識を得た今思えば、根付きのそれは12日の籠松明であった。その際、その竹を奉納している講という存在を初めて聞いた。それまで、そのような働きに思いが及ぶことが皆無だったので、とても心動かされた。今この時を生きている人たちがお水取りを支えている!…思い出の引き出しに納めたお水取りが、生彩を放って眼の前に現れたような瞬間だった。次の年は十一面観音を巡った旅の参拝先で『二月堂竹送り復活の地』という碑を目にし、その偶然に喜びながら、田園風景の中に講の人々の姿を想像した。
お水取りのことをもっと知りたい…そんな気持ちが高まっていた頃、有難いことに東大寺のお坊様から、お水取りが懺悔と祈りの法会であることを直接伺い、装束や持物などに接する機会に恵まれた。この時、お水取りに一番近いお宿と奈良旅の道しるべのような人たちとの幸せな巡り合いもあったのだった。
そして平成25年、4日間もお水取りに参ることができた。東日本大震災の事にふれた管長さんのお話から、この法会が1260年余りも、人々の悲しみや苦しみに寄り添って来たことが実感され、有難い気持ちに満たされた。出来る限り二月堂に赴いて様々な行法を拝見したが、初めての時と同様に心がざわざわし、湧きあがる思いを言葉にすることも難しい。強いて言えば、今のわたしにとってお水取りは「感謝」であり「希望」、だろうか?
お水取りへ、つながっていく人たちへ、わたしの旅はまだ始まったばかりだ。

栃木県在住 N.H.様 60代 女性

2014年2月10日月曜日

奈良の旅人エッセイ-10-「異空間の奈良」

「異空間の奈良」

 京都を歴史のテーマパークと呼ぶとすると、奈良は歴史のサファリパークと言えるかもしれない。
 京都は平安京以後の様々な時代の歴史を彩った建造物や自然物が混然一体となって存在しているものの、秩序を持って我々に歴史を語り見せてくれる、さながら完成された歴史テーマパークのようである。
  一方、奈良はヤマト朝廷以後、平城京にいたる歴史の大きな流れをサファリパークのように明日香地域、斑鳩地域、奈良地域といったようにゾーン別に見せてくれるばかりでなく、各ゾーンはそれぞれ特徴を持ち、そこで何を見ることができるかはある程度想像がつくものの、ときには想像をはるかに超える、日本の歴史を大きく変えるようなものに出会う可能性を秘めている、期待とロマンを与えてくれる歴史のサファリパークのようである。
 しかも、そこには、 8世紀後半に平安京に都が移るまで、国の政治経済の中心として栄え、その後歴史の表舞台から去り静かに時が流れた奈良が持つ独特の空間、いわば、1200 年前の繁栄の時代の人々の営みや息吹が今に至るまで大切に閉じ込められているような異空間があるような気がする。
 明日香甘樫の丘に立ち、 そこから大和三山を眺めた時や室生寺の静けさの中で、かすかな木々の葉がざわめく音を聞く時、そして長い参道を歩き、春日大社に参詣したときの敬虔な祈りの気持ちを持つ時、万葉の人々が見て、聞いて、感じたものと同じものを共有しているかのように思えるのである。
 そこにはまた日本の原風景を見るような気がする。若草山から見る東大寺の甍、箸墓古墳等の古墳群、飛鳥寺や岡寺の静かなたたずまい等々、多くの観光客が訪れるにもかかわらず、なぜか俗化せず、そこにかたくなに異空間であり続ける奈良の不思議な力や懐の深さを感じずにはいられない。
 サファリパークのように、それぞれの地域ゾーンが特徴を持って大きな歴史を語り、かつ古人と空間を共有しているような気持ちにさせ、その日本の原風景ともいうべき空間であり続ける奈良は、一度足を踏み入れたら何度も足を運びたくなる魅力を秘めた素晴らしいところである。

千葉県在住 H.M.様 50代 男性

2014年2月9日日曜日

奈良の旅人エッセイ-9-

「そうだ京都に行こう」。思い立って旅したついでに寄った平等院に魅せられました。三年前のことでした。左右対称の木造建築物の造形美が圧巻でした。化粧が施された昔だったらどうだったろう、の思いにふけりました。「見たことがある」から「たびたび来たい」に気持ちが変わりました。ついでの奈良が 本命に切り替わった瞬間でした。
そして今年の遅い秋です。「奈良の晩秋を味わおう」の母のひと言で決まりました。日程を合わせた親子三人、 しかしそれぞれの瞳の先にある奈良は違っていました。父は巨木、母は紅葉にご執心でした。私は自身の成長を確認する旅、でした。平等院で体験した感覚を随所で再現したい思いがありました。それはサスペンスドラマや少し前の映画の「黄色いハンカチ」の最終場面の、あのドキドキしながら緊張の一瞬に近づいていく感覚に似ていました。
猿沢の池の柳が少ないのには驚きました。植え替えてもすぐに枯れてしまっているのだそうです。印象に残っていた、柳越しに見る興福寺の五重塔の再現は残念ながらできませんでした。それでもスカイツリーを支える強い構造の見本になっている五重塔。昔の人の技術と知恵に感心しながら眺める塔は一段と誇らしげでした。
法隆寺の印象は随分違いました。聖徳太子鎮魂の寺と、いくつもの根拠をあげて主張する梅原猛先生の著書を読んでいたからです。鮮やかな朱色がそのために妖しく迫ってくる感覚を味わいました。「塔の上なるひとひらの雲」の一節だけ覚えている薬師寺は 修復工事中でした。周囲を含め広い寺の敷地に妙に感心しました。さすがに大きかったのが東大寺の大仏殿で、屋根の上の一対の金色がとても印象に残りました。最初の旅では大仏の大きな手、その次が埃という印象の順でしたから大きな違いようです。残り紅葉の浮見堂に感激しました。池面に映る紅葉を撮影し「イ ケメンの紅葉」とタイトルをつけて友人に送ると、「いいね!」と返ってきました。「イケメン」とは「池面」のことですので、念のため。
最終日は「ならまち」でした。都会では見かけなくなった青空商店街で、しかも清潔でした。「なりは悪いですが家でとれたものです。自由にお召し上がりください」と書かれた籠が、ある家の前に置かれていました。籠には熟れた柿が入っていました。改めてここは奈良、すぐに「柿喰えば」の句を思い出しました。住まう方の心根にじんと心温まるのでした。

神奈川県在住 K.M.様 30代 女性

2014年2月8日土曜日

奈良の旅人エッセイ-8-「私のお気に入りの奈良」

「私のお気に入りの奈良」

 奈良を旅する場合、奈良県の観光案内に関する書物を事前に徹底的に調べ尽くして旅するのも一つのやり方だとは思うが、やはり旅の醍醐味は予断を入れず、自分の五感でその土地を味わうのがいいように私は考えています。ときには予想外の景色に出会えるのがよい。
 奈良を訪れる圧倒的多数の人は、近鉄奈良駅から若草山を東に見ながら通る広幅の東西に延びるバス道路を歩きますが、私のお薦めの道は、この広幅のバス道とほぼ平行に走る北側の細道で、多少曲折があるが東大寺の裏側を通り二月堂に至る細道です。季節は晩秋がよい。あたりは黄色、橙色、赤色のさまざまの紅葉を見て、落ち葉を踏みながら歩く中に至る所に奈良の鹿に出会うことができます。奈良の鹿は奈良の風景に溶け込んでいる。二月堂から更に若草山の麓を経て春日大社、飛火野、浮身堂、猿沢池、近鉄奈良駅に至るコースである。この裏道を歩くのがミソである。
今から十数年前のこと、奈良を歩いて感動的な情景にであったことがあります。晩秋ではないが、暑い夏のある日の早朝でした。戒壇堂裏と正倉院との間に全く整備されていない沼の中に立派な角をもった親鹿が朝靄の中で水浴びをしている場に出くわして、私は一瞬立ち止まって、その情景に見入ってしまいました。もちろん鹿の方は私には見向きもしません。予想もしない情景に私は感動しました。普段は他の人々がいる中で数多くの鹿を見ることが多いのですが、この時ばかりは、辺りに誰もいない中での出来事でした。奈良の鹿は普段は雑多な観光客に近寄って食べ物をねだることが多いが、私が出会ったこの情景は、人もいないし他に鹿もいないところで、立派な角をはやした大鹿の足が全部沼に埋没するくらい深いところまで水に入っている情景でした。その分感動がおおきかったのかもしれません。そこで、かの大鹿は自分だけゆっくりしたところで水浴びをしていたのです。この経験は十数年前のことですがその日のことを今も鮮明に覚えています。
いつも奈良を散策した後 は、私の愛読書の一つに「大和文学巡礼」(昭和19年天理時報社発行のもの)の中で自分の歩いたその場所辺りをこの本の中で探すのであるが、朝靄の中で沼で鹿が水浴びするといったことは、この本は勿論、他のどの本を覗いても、そんな記述などあろう筈もない。このような幻想的な場面に出くわせば、詩人、俳人、随筆家はどういうふうに表現するのだろうかと考えるだけでも楽しい。

奈良県在住 N.M.様 70代 男性

2014年2月7日金曜日

奈良の旅人エッセイ-7-「恩師と明日香・野迫川村フィールドワーク」

「恩師と明日香・野迫川村フィールドワーク」

2013年の秋、私は大学時代の恩師と奈良県野迫川村に向かった。
前日、明日香村の橘寺や川原寺周辺を散策後、明日香村観光協会から紹介してもらった民宿に到着。私自身、民宿に泊まるのは久しぶりであったから、内心ワクワクドキドキした気持ちであった。一泊二食付で六千円というリーズナブルな料金設定。食事も海老の天ぷらや煮物、焼き魚などたくさん出て美味しかった。恩師も食が進み、ご飯をおかわりした。茶碗蒸しも出て、嬉しいことにみかんもたくさん用意されていた。私たちは食後のデザートとして楽しんだ。
部屋は母屋に連なる離れの二部屋を使用。旅の疲れもあり、ぐっすり寝てしまった。朝食を済ませ、7時半には民宿を出発。169号線を車で南下。高取町、大淀町、下市町を抜け、黒滝村へと入る。道の駅「吉野路黒滝」でトイレ休憩。そこから猿谷ダムを抜けて五條市の大塔地区の山腹崩壊地を見学。その後、野迫川村に向かうため車を走らせたわけであるが、通行止めの道路もあり、運転するのがこわい道をゆっくり進んだ。目的地にたどり着くまでに、どのくらいの時間を費やしたことであろう。
やっとのことで野迫川村役場に到着、12時を過ぎていた。役場総務課の課長さんに「平成23年台風12号の爪痕 紀伊半島大水害による災害の記録」(冊子型の資料)をいただき、説明を受けた。復旧状況などをくわしくお話して下さり、深層崩壊した北股地区の現場を見学。大きな堰堤が姿を現した。山腹は復旧途上で、稜線の頂付近は山肌がはっきりと見える状態であった。おそらく今後の対策も踏まえ、植林なども行っていくのであろう。ハードな面とソフトな面を合わせて、どのように復旧されていくのか、住民たちの生活はどうなるのか、見続けていきたい。
今回の旅は、 自然災害の爪痕が残る奈良県南部を地理学の視点で見て回った。道中では奈良県の山々が紅葉し、ちょっとした目の保養にもなった。立ち寄ってみたいところ、 とりわけ温泉は魅力いっぱい。いつか、ゆっくりと旅したいものだ。その日はゆっくり下宿のお風呂に入った。ゆずの香りのする入浴剤を入れて。思い出深い秋の休日となった。

大阪府在住 S.Y.様 30代 男性 

2014年2月6日木曜日

奈良の旅人エッセイ-6-

 奈良紅葉が気に入っています。低山の山肌の紅葉がまるで淵のような役割をし、中に寺院の屋根と緑、黄、赤がほどよく目に映るからです。眺めていて心から安らげます。そういう意味では展望できる場所の少ない奈良ですが、二月堂からの眺めが気に入り、奈良を訪ねると必ずここに寄ります。
 あの東大寺大仏殿の屋根が景色に入っているのが奈良らしくていいです。人が多いのでシャッターチャンスを待ちながらの撮影になりますが、苦に思うことはありません。その場で巣立っている子どもたちに写メールしてやると、「いいね」と返ってきます。
 四十数年前修学旅行で初めて訪ねた唐招提寺にも訪れます。奈良のお寺はどこも手入れが行き届いていますが、ここは格別という印象をもっています。午前中早いとまだ箒をもった方の実施中を見かけます。近ければ「ご苦労様。おかげで気持ちいいですね」と声をかけます。「ありがとうございます」と、明るい声が返っ てきます。
 修学旅行の思い出の作文にこの唐招提寺の印象を私は書きました。大人になって訪れるたび、あのとき私はなぜ唐招提寺を書いたのだろうと自問してみます。苦労して日本に渡ってきた鑑真を思ってだろうか、あの幾本もの太い柱の独特な丸みが感じさせる人間味を思ってだろうか、いろいろ想起してみるのですが、詳細は思い出せません。ただ、エンタシスという柱の形状のことは今でも覚えていますので、それが書かせたのではないかと思っているところです。この種のなつかしい過去回帰ができるのも奈良だから、です。
 東山画伯の描いた襖絵を実際にこの目で見たいと思っているのですが、大好きな紅葉の時期とずれるのでまだ拝見できておりません。「いっそ、写経に参加したら?」と友人からは冷やかされます。あこがれのものに会いたい気持ちは子供心のようです。
  足を延ばして、吉野山の紅葉にも向かいます。桜の季節に訪ねてすっかり気に入り、それなら紅葉の時期も、ということになった結果です。尾根筋の木立の中を歩くのもいいのですが、私はやはり眺望景色を気に入っています。坂道を登ると振り返り、また登っては振り返りしながら楽しんでいます。お寺のたたずまいが 溶け込んでいるのがとても奈良らしいのです。それに何度も振り返ることができるほど長く続いているのも。
 大好きな奈良でも年を重ねてくるといつでもどこでも、というわけにはいきません。気に入った時期、気に入った箇所というように狭まってきます。それを受け入れながら楽しむのも旅のこつと思っています。

神奈川県在住 K.R.様 60代 女性

2014年2月5日水曜日

奈良の旅人エッセイ-5-「また 奈良?」

「また 奈良?」
               
「また奈良行くの?」と、いつも子供たちに言われます。
春・夏・秋・冬どの季節にもうろうろしている私。いつの頃からそうなったのかしら・・・。
 始まりは歴女でした。教科書に載っている仏像を見たくて訪れ、「ふんふん、これが例のやつね・・・。」なんて確認作業をしていました。中学生の頃の遠足で訪れた飛鳥では、「こんな田舎になんで来る?」と思ったこともありました。ただ見るだけの奈良。
  少し大人になった歴女は仏像や寺院を美しいと感じるようになっていました。入江泰吉さんの写真との出会いは私にとって、とても大きいものでした。「あの写真のあの場所へいきたい。」とまた確認行動。でも未消化のままでした。写真が美しすぎて、自分が見たものとなんだか違うのです。それでも心に残るかたちは 少しずつ増えていきました。
 母親になった歴女は子供の遊びと自分の欲求を同時に満たそうと、キャベツをバッグに入れていざ奈良へ。図々しくない鹿さんのいる静かな奈良公園を歩きまわりました。のんびり、のびのびできたのは奈良の懐のふかさでしょうか・・・。奈良ホテルの見える荒池の畔や、 ゆったりひろい東大寺講堂跡は今も落ち着くお気に入りの場所です。
 しばらくして歴女にはシングルになるという人生の転機がありました。落ち込んだら長谷寺に、悲しくなったら母と行った唐招提寺に、と奈良をあちこち歩きまわることでゆっくりと自分を取り戻していくことができました。静かなお堂の中には、心で呼びかけると微笑み返してくれる仏様がおられました。答えるではなく、表情で応えて下さるのです。いいなあここは。
 子供も独立し始めると時間にも気分にも余裕が生まれ、四季のうつろいを求めてゆったりと奈良を訪れる機会が増えていきました。ずっと前に田舎と感じた飛鳥は、 歴史の香りが漂う品のある場所に、奈良公園は多くの木々に守られ端の方にいくほど自然な天平時代を感じる場所になってきました。早朝の散策で感じる清々しさや、夕暮れの日差しの中での仏様や東大寺の回廊の暖かさ、それはひょっとすると好きだった入江泰吉さんの目線に近いものかもしれません。少しずつ変わっていく私の奈良。
あなたに寄り添っていきます。また 奈良へ 

大阪府在住 N.K.様 女性

2014年2月4日火曜日

奈良の旅人エッセイ-4-

 友人からの箱根美術館の紅葉写真メールに刺激され奈良の寺社紅葉を見に出かけました。

 一番印象に残ったのは唐招提寺でした。
掃除の行き届いた境内、苔と紅葉の素晴らしい庭園景色に出会いました。
そして二月堂からの眺望景色。
緑と紅葉のパノラマ景色に東大寺大仏殿の屋根が溶け込んでいました。信長塀の細い参道にも雰囲気があり、人も多く最も憩っていたのがここ二月堂でもありました。
 線として奈良を味わってみようと思い、 歴史の道に沿って巨木ウォッチングを試みました。
奈良豆比古神社から春日大社にかけてですが、山裾に巨木が多いという情報を得たからです。注目すべきは奈良豆比古神社の大クスと春日大社のフジでした。どちらもその野性味に感激しました。春日大社にはご神木スギ、傾いた大ビャクシン、老大木のクスがありましたが、鷺原道沿いの表皮だけの大クスの生命力には驚きました。
 道中、たくさんの外人に出会いました。
どこを写すのか気をつけて見ていると、鹿、蓮華の水受け、塔の順でした。自国ではめったに見られないものを、という印象でした。
 浮見堂の紅葉を楽しんだあと、遅い昼食を「ならまち」でとりました。ガイドブックで評判の小さな店でしたがその通りの味ともてなしでした。「ならまち」には その名の通り奈良らしい小粋な店が並ぶ路地がたくさんあり、どこも旅人が行き交っていました。やはり「おばちゃん」が目に付きました。輝く顔に元気が貰え 「どうぞさらに先までそのお元気を」と祈らずにいられない心地になりました。これって、知らず気持ちが優しくなるという奈良効果とでもいえるのでしょうか。
 大手旅行会社を通じて確保した宿泊先は感心しませんでした。
スリッパ、タオル、湯飲みなどが到着時人数分揃えられていなかっただけでなく、湯飲みには前客のコーヒーの飲み残しがありました。
フロントの客用パソコンの故障を直してもらったあと巨木を検索していると「ロビーにいろいろパンフレットがありますから」と支配人風の方から煩わしそうに言われました。ないから調べているのに、と思いました。
連泊中、夕食は宿のレストランに予約してとりました。が、二日目にメインのおかずを忘れられ、催促しても時間がかかり、ほとんど終了後それだけ口に運ぶ事態になりました。「元気を出せ」と言いたくなりました。

 神奈川県在住 K.H.様 60代 男性

2014年2月3日月曜日

奈良の旅人エッセイ-3-「おもてなし」

「おもてなし」

玄関に置かれた靴を見て、ギクリとした。
前日、土埃で白くなった靴が綺麗に磨かれているではないか!
さらに驚いたのは履き心地がまるで違うのだ。実は靴底が剥がれてパカパカ鳴っていた靴だった。

私はどこを旅しても歩くことを楽しみにしている。

名所旧跡を車や電車で点から点へ移動するだけでは訪れた土地の晴れの姿、表面が見えるだけで、そこに住む人の息遣いや素顔まではなかなか伝わってこない。特に何度も観光に来た奈良京都はそうだ。歩くことによって、いつも新しい発見がある。
その日も、奈良公園界隈をひたすら歩いて巡った私。

脇道へ迷うもまたよし古都の夏 
オンカカカ石仏眠りて奈良の道
古池や亀の甲に苔青みたり

こんな句を詠みながら、飽かずに眺めた猿沢の池の岩上で甲羅干しをしている亀、東大寺裏手の小路、春日大社での結婚式、狭い路地の古道具屋、崩れかけた土塀……墓地では墓石の裏に廻り、いつどのような人がどのような思いで建立したかを想像する。

そうやって歩いているとき驟雨。雨宿りの場所を求めて慌てて駈け出したところ泣き面に蜂、革製のウォーキングシューズの片方の靴底が半分剥がれてしまったのだった。

「この靴は?」と尋ねる私に和服姿の宿の女性が上品な笑みを浮かべた。
「近所の懇意にしている靴屋さんに修理してもらいました。ご就寝中でしたので……出過ぎた真似をして申し訳ありません」
「とんでもない」と、あまりにも思いがけない心遣いに私は恥ずかしさで顔が赤らむ思いだった。ブランド品とはいえ、ボロボロに履き古した靴だったのだ。

客の靴にまでおもてなし――これだから伝統ある観光地の宿は生き残ってきたのだなと、感服する私に古都の朝風は実に爽やかだった。

千葉県在住 W.K.様 60代 男性



2014年2月2日日曜日

奈良の旅人エッセイ-2-「尊敬する人物は?」

「尊敬する人物は?」

その問いに、私は子供の頃から「聖徳太子」と答えてきた。
今から約一五〇〇年前の飛鳥時代の政治家。十人の人の話を同時に聞くことが出来るなど、様々な伝説が残るスーパースター。そして、私が子供の頃の一万円札と五千円札の肖像画の人物だ。
だ から中学時代、修学旅行で聖徳太子が活躍した奈良に行くことになった時は本当にうれしかった。特に、聖徳太子が創建した世界最古の木造建築である法隆寺。 その法隆寺の『五重塔』や『金堂』、そして、聖徳太子を供養するために建てられた神秘的な雰囲気が漂う八角円堂の『夢殿』を見学するのが、子供心にも 楽しみでしかたなかった。
そしていざ出発の日。私は風邪をひいて三十九度近くの高熱を出してしまった。だが、私の気持ちはすでに奈良にあ り、母親と担任の先生の反対を押し切って修学旅行に参加した。結局、奈良についても高熱のため観光には参加できず、楽しいはずの二泊三日の奈良観光はホテ ルの布団の中で過ごすこととなった。
その後、社会人となり、奈良へは仕事で何度か訪れた。その際、奈良市内にある東大寺や奈良公園、薬師寺などには行くことができたのだが、残念ながら、法隆寺がある斑鳩までは足を延ばすことが出来なかった。
それなら、観光で行けばいいのだが、家族の希望は北海道や沖縄、ディズニーランドなどばかりで、残念ながら、私の斑鳩、法隆寺への希望は後回しにされている。
聖徳太子ゆかりの地である斑鳩をのんびりと散策する。この私のささやかな夢。簡単に出来そうで、未だに叶わないでいる。しかし、もし実現した時のために、プランはすでに出来ている。
法 隆寺駅を降りて、斑鳩の田園風景の中をのんびりと歩く。法隆寺へと続く松並木の参道はさらにのんびりと味わうように歩いていく。そして、心静かに境内に 入る。やはり『五重塔』、『金堂』『夢殿』は外せない。とは言っても、たぶん、隅々まで見てしまうはずだ。この中でも、聖徳太子等身の像と伝えられている 国宝救世観音像が安置されている夢殿はじっくりと拝観したい。
法隆寺を満喫した後は、藤ノ木古墳や法起寺、法輪寺、中宮寺などを巡る。本当であれば一人で行きたいところではあるが、妻がどうしても来たいというならば(絶対に来るというに決まっているが)連れて来てあげよう。
夜は、柿の葉寿司を食べながらお酒を飲む。そして、心は聖徳太子のいた飛鳥時代へ。定かではないが、聖徳太子もお酒を飲んだと言われている。そんなことを想いながら飲むお酒はきっと格別に違いない。

神奈川県在住 H.K.様 40代男性

2014年2月1日土曜日

奈良の旅人エッセイ-1-「片道2時間の小旅行」

「片道2時間の小旅行」

日曜日の早朝、私は出掛ける準備に追われていた。目的地は遠い。
電車を上手く乗り継いでも片道二時間を要する。
「髪は、これでいいか」
激しい寝癖はディップで封じ込めた。瞬く間に堅物のサラリーマンのような頭になった。
見た目の清潔感は大事である、と自分に言い含めながら手早く腰にぶら下げた懐中時計で時間を確認した。二十分弱の余裕があった。
時間を有効に使う為に私はノートパソコンを起動した。すると一通の未開封のメールが届いていた。差出人の名前を見て、呑みの誘いと判断した。内容に目をやると、その通りであった。先約があるので簡単な断りのメールを返す。
メールの相手は長い付き合いの友人で、よく二人で居酒屋に足を運んだ。少し酒の回った頭で数多くの話に花を咲かせた。その中には奈良と京都の話題もある。どちらが先に言い出したのかは覚えていないが観光地の優劣を競い合った。
私は一時的な奈良の観光大使となった。まずは寺の数の多さを主張した。しかし、携帯電話で調べた結果では京都の方が多かった。古都のイメージが崩れる前に桜に話題を移した。
「一目千本の吉野のサクラは素晴らしい。葛城山には一目百万本のツツジがある」
 規模は違うが京都にもある、と返された。そこで無いものを考えた。
「京都と違って奈良には地下鉄が無い」
口にした瞬間、自慢になっていないような気がして取り消した。あとは思い付くことを次々に挙げていった。
「若草山の山焼きは大勢の人で賑わうし、東大寺の万灯供養会は幻想的だし、大晦日の大神神社の屋台は種類が豊富で見ているだけでも楽しい。近くには石上神宮があって、境内に鶏が放し飼いになっている。四メートルくらいの木の枝に止まっているのがいて、実際に飛ぶのを見たことがある」
最後の鶏の話は即行で否定された。鶏が飛ぶはずがない、と言われた。尾羽が長いので、ただの鶏とは違うのかもしれない。
「いや、ウソではない。本当に飛ぶ」
目で見た事実を伝える為に熱心に語ったことを今でも覚えている。そのせいなのか。酒の肴は枝豆やコロッケから焼き鳥に変わった。飲み物はビールから日本酒となり、話の決着がつかない内に二人とも酔っ払った。
「そろそろか」
懐中時計を目にした私は回想を打ち切った。玄関で真新しいシューズを履いて外に出る。
眩しい朝陽に目を細めた時、新たに奈良の良さを思い付いた。
奈良には私の恋人がいる。電車で片道二時間を要するが。

大阪府在住 T.A.様 40代男性