2014年3月9日日曜日

奈良の旅人エッセイ-37-「奈良って・・・」

「奈良って・・・」

     「奈良はなぁ、神さんも仏さんもいてはんねん。
      ほんでな、そこで鹿も人も暮らしてる。
      それが 奈良やねん。」

    奈良に生まれて、そこそこの年月が経ちました。
   そこそこと云っても、1300年と流れるこの地では、あっという間のこと。
   その「わたくしのそこそこ」の間に奈良の町はというと、大きく変わった所あり、
   また、全く変わらない所あり。いろんなことが混在しています。
    さて、奈良でずっと暮らす私ですが時折、返事に困る質問を投げかけられます。
   「奈良ってどんなとこ?」
   「奈良が好きですか?」
    正直に云えば「嫌いやないけど、好きかてゆうたら好きでもない・・・」 
   「どんなとこってゆうてもなあ・・?」
    でも、そんな私も奈良をどう見てきたのか、何か伝えられることがあるのかと
   気になり始めてきたのも、寄る年波のせい?
    ほんとうは、平凡な日常に埋もれてしまっているあたりまえの中にこそ、
   自分にとっての特別な場所や、心を動かされる事、思いがあるのがわかってきました。

      ・路地を歩けば過去に引き込まれるかのような不思議な感覚
      ・春日大社へ歩く砂利の音
      ・二月堂の裏の静寂で冷たい空気
      ・お堂の闇からきこえる声明
                                
    気がつけば私はいつでもタイムスリップしています。
   そこは、情景も空気感も、幼い頃からなんら変わることがありません。
   過去と今が共振しているように。

    変わらないということは、生活する者にとれば時代に添わない不便さや
   不満をもたらします。生活や経済の発展、進歩、質の向上の為には、変わる
   力を持ち、より良い暮らしを実現させる努力と実行力が不可欠です。
    ただ、奈良は変わらないことで、有形無形の文化遺産を守り、その精神を
   つなぎ、支えてきました。そして、その「変わらない」の中には、神社仏閣が果たす
   役割と共に、「神さんも仏さんもいてはる。見守ってくれてはる。」という奈良の人々の
   心の持ちよう、感謝の気持ち。それから、神の遣いとされる鹿との共存・・。
   そんなことすべてが、連綿と受け継がれ、変わらぬ空気の中にあたりまえに存在して
   きたからこそ、奈良は奈良として在り続けているのだと思うのです。

    奈良へ来られる旅行客の中に、「戻ってくるという感じがする」「ほっとする」
   「懐かしい感じ」と云ってくださる方がおられます。
   それはきっと、奈良がその”変わらない”という大らかな部分を保ち続けているから
   かもしれません。
    いつも、どんな時も、誰にでも、静かな眼差しを向け大きな手を差し出し、生きとし
   生ける者すべての平和を願っておられる大仏さんは、そんな奈良の象徴です。

    「奈良ってどんなとこ?」 
   「奈良は神さんも仏さんもいてはって、そこで鹿も人も暮らしてんねん」
    「奈良が好きですか?」
   「好きと云うより、私にとってはかけがえのない所なんやと思う」

    悠久の歴史が流れるここは、見えないもの、聞こえないものが確かに存在します。
   そこで何を感じるかは人それぞれですが、そこには、人に内在する何かを呼び起こす
   力もあると私は思っています。奈良の空気の中にあたりまえにあるのです。
    
    ほっこりしてるけど、奥が深くミステリアス。

    結局、半世紀とちょっとぐらいの年月ではまだまだわからないことだらけ。
   奈良は魅力が尽きない所です!

 奈良県在住 I.M.様 50代 女性