2014年2月10日月曜日

奈良の旅人エッセイ-10-「異空間の奈良」

「異空間の奈良」

 京都を歴史のテーマパークと呼ぶとすると、奈良は歴史のサファリパークと言えるかもしれない。
 京都は平安京以後の様々な時代の歴史を彩った建造物や自然物が混然一体となって存在しているものの、秩序を持って我々に歴史を語り見せてくれる、さながら完成された歴史テーマパークのようである。
  一方、奈良はヤマト朝廷以後、平城京にいたる歴史の大きな流れをサファリパークのように明日香地域、斑鳩地域、奈良地域といったようにゾーン別に見せてくれるばかりでなく、各ゾーンはそれぞれ特徴を持ち、そこで何を見ることができるかはある程度想像がつくものの、ときには想像をはるかに超える、日本の歴史を大きく変えるようなものに出会う可能性を秘めている、期待とロマンを与えてくれる歴史のサファリパークのようである。
 しかも、そこには、 8世紀後半に平安京に都が移るまで、国の政治経済の中心として栄え、その後歴史の表舞台から去り静かに時が流れた奈良が持つ独特の空間、いわば、1200 年前の繁栄の時代の人々の営みや息吹が今に至るまで大切に閉じ込められているような異空間があるような気がする。
 明日香甘樫の丘に立ち、 そこから大和三山を眺めた時や室生寺の静けさの中で、かすかな木々の葉がざわめく音を聞く時、そして長い参道を歩き、春日大社に参詣したときの敬虔な祈りの気持ちを持つ時、万葉の人々が見て、聞いて、感じたものと同じものを共有しているかのように思えるのである。
 そこにはまた日本の原風景を見るような気がする。若草山から見る東大寺の甍、箸墓古墳等の古墳群、飛鳥寺や岡寺の静かなたたずまい等々、多くの観光客が訪れるにもかかわらず、なぜか俗化せず、そこにかたくなに異空間であり続ける奈良の不思議な力や懐の深さを感じずにはいられない。
 サファリパークのように、それぞれの地域ゾーンが特徴を持って大きな歴史を語り、かつ古人と空間を共有しているような気持ちにさせ、その日本の原風景ともいうべき空間であり続ける奈良は、一度足を踏み入れたら何度も足を運びたくなる魅力を秘めた素晴らしいところである。

千葉県在住 H.M.様 50代 男性