2014年2月21日金曜日

奈良の旅人エッセイ-21-「奈良へ行く旅、帰る旅 ~唐招提寺にて~」

「奈良へ行く旅、帰る旅 ~唐招提寺にて~」
 
 私の記憶にある最も古い奈良旅の思い出は、国鉄の急行「かすが」号に乗って、家族で大仏さんを見に行ったことである。以来、幾度となく訪れる奈良は、行くところであり、帰るところでもあるような気がする。
  大仏さんを見に行った頃、『奈良のだいぶつ』という子ども向けの歴史の本を買ってもらった。そこには、大仏建立をはじめ、和気清麻呂が宇佐八幡宮の神託を 聞きに行く話や、阿倍仲麻呂が帰ることのない故郷を思いつつ「天の原ふりさけ見れば春日なる…」の歌を詠んだ話などが紹介されていた。
 中でも、繰り返し読んだのが、鑑真和上の渡航の話であった。何度も失敗し、危険な目に遭い、病に伏す和上を案じる弟子の普照に対し、優しくねぎらいの言葉をかける和上。過酷な状況にも関わらず、そこに流れる温かい空気に、おじいさんと一緒にいたら、それだけで安心できるような、そんな不思議な心地よさを感じていた。和上の優しさにふれたくて、このページを開いていたのかもしれないと思う。
 私が一番好きな奈良は唐招提寺。何かに行き詰まった時、寂しい気持ちになった時、ふと訪れたくなる場所だ。エンタシスの太い柱の美しさも、御廟の静けさも、戒壇跡のピーンと張り詰めた雰囲気も、ご本尊さまのどことなくのんびりしたお顔も、季節ごとに咲く花も、その全てが大好きだけれど、何よりも、「胎内」という言葉を連想させる、あの深い森につつまれていると、和上と普照のやりとりが思い起こされ、温かいものが自分の中に満ちてくるような気がする。そして、この森を出たら、もう一度生まれ変われるんじゃないか、頑張れるんじゃないかと思えるのである。あの森に、また帰りたくなって、私は奈良を訪れるのだろう。
 先日、和上が渡航を決意したとき、既に54歳になっていたことに初めて気付いた。職歴も地位もあっただろう。長年かかって積み上げてきた生活習慣や人間関係の重みも感じていただろう。 その年齢に達するまで、あと数年ある私でさえ、失うものの数を数え、今の自分にとらわれ、変わることを恐れてしまうのに、和上は渡航を決めた。全てを捨て、危険を冒してまで、遠い他国に行こうとする意志の強さ。新たなものに向かおうとする柔軟な心。和上を駆り立てたのは、信じるものに対する責任感であり、自分の決意に対する信頼でもあったのではないかと思う。しかし、まだ明確な答えは見つからない。
 その答えを探しに、私は、これからも唐招提寺を訪ねるだろう。近年では、和上の故郷の花「瓊花」の公開もあり、その白さ、可憐さの中で、和尚の心に思いを馳せ、問いかけることができる。「あなたはどうして、そんなに優しいのですか?」「そんなに強いのですか?」「とらわれないのですか?」「私も、いつか、あなたのようになれるでしょうか?」
 私にとっての奈良旅は、行く旅でもあり、自分に帰る旅でもあるのだと思う。

三重県在住 Y.K.様 40代 女性