2014年2月15日土曜日

奈良の旅人エッセイ-15-

 30年近く前に奈良を旅した際、「頭塔」にふらりと立ち寄ったのが始まりです。
「ズトー」という怪しげな響きと、街なかに忽然と出現するこんもりとした古塚の風情に惹かれて何も知らずに見学。当時はまだ発掘復元前だったので、周囲の小道に石仏が転がっているだけの地味~な史跡でした。が、通りかかった小学生が、「殺された偉い人の首が、空からビューンと飛んできてここに落ちたんだよ。」と、つい最近起きた大事件のような口ぶりで、熱心に解説してくれたのが忘れられません。以来「頭塔」は私の頭の隅にこびり付いた小さなハテナマークに…。

 数年前に突如、奈良時代の歴史の面白さに目覚め、片っぱしから本を読みあさっていた時、偶然「頭塔」の正体を知りました。なに~っ!あの玄昉の首塚だって! 吉備真備や報恩大師にすごく関心があるので、玄昉はお馴染の人物です。遣唐留学僧として五千巻ものお経を持ち帰り、聖武天皇の宮廷で権勢をふるったという高僧ですね。もちろん首塚説は伝説に過ぎず本当は仏塔だということは理解していますが、それでも堪らず奈良に駆けつけ、20余年ぶりに頭塔と感激の対面を果たしました。

 さて、藤原広嗣の怨霊によってバラバラに引き裂かれたという玄昉の遺体は、頭が頭塔に落ちた他にも、奈良の各所に降ったと伝えられ、それにちなんだ地名が残っているそうです。なんだ地名だけか、と思っていたら、今も塚が現存しているとか。わずかな情報を手掛かりに現地を確かめてみることにしました。

 まずは、胴を葬ったという胴塚弁財天へ。『奈良きたまち』HPにちらりと出ている情報ですが、水門町というだけで、具体的な場所は分からず…。きたまちのことなら「フルコト」新井さんだな、と思い、お店で尋ねると、すぐに調べてくれました。東大寺戒壇院の南、喫茶「しろあむ」の近くと分かり直行。ありました! 今は弁天さまが祀られていますが、何らかの霊異の地と認識され続けてきたのでしょうか。

 次は、眉と目を葬った という塚がある大豆山町(まめやまちょう)の崇徳寺へ。奈良女子大のすぐ南側です。眉・目がなまって「まめ」だそう。こじつけっぽいですけど。このお寺は 観光寺ではないので、いつ行っても門が閉まっています。これまた新井さん情報で、脇の駐車場の通用門が開いているはずとのこと。ここから境内に入り、庫裏 に声をかけると、ご住職の奥様が丁寧に案内してくれました。本堂裏の小庭園にある、低い築山がその塚の痕跡だそうです。

 もうひとつは、ならまちを抜けた先、京終駅にも近い肘塚町(かいのづかちょう)。ここにある椚(くぬぎ)大明神の祠が肘(かいな)塚(づか)の跡だとも言い伝えられている、と増尾正子さんの著書『奈良の昔話3』に出ています。上ツ道を南下していくと、赤い鳥居と垣に囲まれた小祠を発見! 弘法大師の杖が育ったというクヌギの木も健在でした。

 やった~!これで奈良の玄昉バラバラ事件現場全踏破! ホラーな伝説の主にされて気の毒な玄昉さんですが、法相宗の重要な学僧として敬われている優秀なお坊さんでもあります。安らかな眠りをお祈りしました。

岡山県在住 H.S.様 50代 女性