2014年2月3日月曜日

奈良の旅人エッセイ-3-「おもてなし」

「おもてなし」

玄関に置かれた靴を見て、ギクリとした。
前日、土埃で白くなった靴が綺麗に磨かれているではないか!
さらに驚いたのは履き心地がまるで違うのだ。実は靴底が剥がれてパカパカ鳴っていた靴だった。

私はどこを旅しても歩くことを楽しみにしている。

名所旧跡を車や電車で点から点へ移動するだけでは訪れた土地の晴れの姿、表面が見えるだけで、そこに住む人の息遣いや素顔まではなかなか伝わってこない。特に何度も観光に来た奈良京都はそうだ。歩くことによって、いつも新しい発見がある。
その日も、奈良公園界隈をひたすら歩いて巡った私。

脇道へ迷うもまたよし古都の夏 
オンカカカ石仏眠りて奈良の道
古池や亀の甲に苔青みたり

こんな句を詠みながら、飽かずに眺めた猿沢の池の岩上で甲羅干しをしている亀、東大寺裏手の小路、春日大社での結婚式、狭い路地の古道具屋、崩れかけた土塀……墓地では墓石の裏に廻り、いつどのような人がどのような思いで建立したかを想像する。

そうやって歩いているとき驟雨。雨宿りの場所を求めて慌てて駈け出したところ泣き面に蜂、革製のウォーキングシューズの片方の靴底が半分剥がれてしまったのだった。

「この靴は?」と尋ねる私に和服姿の宿の女性が上品な笑みを浮かべた。
「近所の懇意にしている靴屋さんに修理してもらいました。ご就寝中でしたので……出過ぎた真似をして申し訳ありません」
「とんでもない」と、あまりにも思いがけない心遣いに私は恥ずかしさで顔が赤らむ思いだった。ブランド品とはいえ、ボロボロに履き古した靴だったのだ。

客の靴にまでおもてなし――これだから伝統ある観光地の宿は生き残ってきたのだなと、感服する私に古都の朝風は実に爽やかだった。

千葉県在住 W.K.様 60代 男性